シャトルーへ行った夏。友人を見て感じた、信じて委ねるということ

留学したのはフランス。大学で第二外国語と言えばドイツ語とフランス語がポピュラーだった頃、私は英語は好きだったが「外国語と言えば英語」という英語至上主義が嫌だった。
もう一つ言葉が喋れるようになりたいと思い、お金を出して習うなら発音が難しそうなものにしようという発想でフランス語を専攻した。
今だったら地理的に近い国の言葉、韓国語か中国語を選んでいたと思う。大学で4年間フランス語を学んだが、フランス語に触れる機会は英語以下。なかなか喋れるようにならない。それなら留学!と、卒業後4年間高校教師の仕事で資金を貯め語学流学した。
フランスには、ニューカレドニアの旅で出会ったフランソワーズという、同年代のフランス人女性がいた。ネットがいつでもどこでも使えるわけではない90年代、彼女は折に触れて「いつ来る?」と手紙や絵葉書でメッセージをくれ、私もまじめに返事を書いた。そして1996年、初めてフランスに立った。
日本人が少ない所の方がフランス語ができるようになるという発想で、ポーというフランス南西部、ピレネー・アトランティック県の街を選んだ。ポーは、ピレネー山脈の麓でスペインにも近い。歴史ではポー城でアンリ4世が生まれたことが有名で、パリからTGVという高速鉄道で5時間ほどかかる。語学学校はヨーロッパの様々な国の人がクラスメイトで、楽しいことも困ったこともあった。思い出せばきりがないが、滞在中印象深かったのは、フランソワーズに会ってともに過ごした時間だ。そのことを書こう。
フランソワーズの両親はパリ郊外に住んでいて彼女の出身もそこだが、彼女はその頃シャトル―というフランス中部の街で働いていた。夏の週末、彼女に会いに行く。携帯電話も一般に普及しておらず、事前連絡は公衆電話でする。流暢に話せないから、「はい」「いいえ」で答えられる単純なやり取りを繰り返す。「私の家においで、どうやって来るか説明は留守番電話に録音しておく。後で聞いて」と彼女は言う。
次の日留守番電話を聞くが、1回で内容が聞き取れず何度もかけ直した。ポトンと落ちるコインの音。「シャトル―の駅に迎えに来る人がいて、その人と一緒にいる」ことを、乗り換えの駅名とともにようやく聞き取った。前途多難だ。
ポーを昼頃発の電車に乗り、トゥールーズで乗り換えて3~4時間だっただろうか。夕方シャトル―の駅に着くと、あごひげをはやした若い男性が近寄ってきた。「フランソワーズの友達?」 「はい」と言うと、「一緒に行こう」と車に乗せてくれた。
彼は「フランソワーズから、私を送るように頼まれた」という。彼女の不在を不安に思いつつ、「日本から来ました」みたいな決まり文句で車中で会話する。フランソワーズは後から来るそうで、結局彼もその後の予定はわかっていなかった。着いたのは敷地の広い古い農家。エマニュエルというフランソワーズの友人の実家で、エマニュエルの兄弟、ご両親、おばあさん、姪御さんらがそこにいた。握手で挨拶し、飲み物をもらう。お互い、何でこの顔ぶれがここにいるんだろう?と思うが、「フランソワーズのことだから」で済んでしまう。
フランソワーズがエマニュエルとともに現れたのは約1時間後。小型トラックに段ボールやテーブルなど、引越の荷物を積んでいた。「近々引越すから、荷物を一時エマニュエルの実家の納屋に預かってもらう」そうで、それから荷下ろしの手伝い。そして夕食を一緒に食べた。肉の煮込みがおいしかったのを覚えている。これは、自分で情報収集しなければ状況が把握できないミステリーツアーだ。
髭の男性にしてもエマニュエルやその家族にしても、それぞれフランソワーズと面識があり線で繋がっているだけで、全体がわかっているのは彼女だけだった。「フランソワーズが言うから」と細かいことは気にせず従っている。彼女は「何とかなる」と大らかで前向きな人柄だから、日本人の私も隔てなく付き合ってくれたのだろう。その晩、荷物をほとんど運び出してからっぽの彼女のアパートに泊めてもらった。
次の日、また髭の男性と、エマニュエルとともにロワールの古城を見学した。高い天井、ベッドやソファなどの調度はデザインの統一感があって美しい。これぞフランス。夜は野外劇。「寒くなるよ」とフランソワーズはセーターを貸してくれた。外国語学習者にありがちだが、私は用意したフレーズを全て言うと話すことがなくなる。無言を悔しいと思いつつ、みんなと一緒にいるのが楽しかった。
フランス滞在中は、彼女を通じた人間関係で、何か伝えたいとフランス語を話し言葉を覚えていった。留学で得たものは、友達の作り方、お互いを信じること、信じたら正直に自分を委ね相手を受け入れること。そんな体験が輝いている。また彼女に会いたい。
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