留学できるというだけで選んだマイナーな短大。あの決断は正しかった

高校卒業が近づいていたある日。受験した短大から合格通知の入った封筒が届いた。事前にサイトで見て合否は分かっていたので、私は何も考えずに封を開けた。すると、他にも何か書類が入っていた。それを読んだ瞬間、私は台所にいた母の元へ猛ダッシュ。飛んできた私を見て何事かという表情の母に種類を見せた。「え、アメリカ行けるん?!」と驚く母と、嬉しさで興奮しながら頷く私。そこに祖母も加わって一緒に大騒ぎしたことは、社会人になった今でも覚えている。
短大の願書と一緒に出した、短期留学の選考書類。受験者の中で希望した人の中から、高校の内申と受験の成績順で選ばれるらしい。「行けたらラッキーだね」と家族と笑って話しながら書いた書類のことなんて、受験で疲弊していてすっかり忘れていた。人数が限られているし、まさか私が選ばれるなんて思わなかった。このときの私は、学歴やお金のことよりも「アメリカへ行きたい」という気持ちの方が強かった。
日本を出ることなんて一生ないと思っていた私にとって、きっとこれは最初で最後のチャンスかもしれない。私は短期留学できるという理由だけで、先に合格していた大学を蹴って滑り止めで受けた短大へ進学することに決めたのだった。
高校の担任に短大へ行くことを報告したときは、まあまあ驚かれた。成績はいい方だったので進路相談のときに有名な大学ばかり提案されたし、進学校で4年制大学へ行く生徒の割合がかなり多かった。短大や専門学校へ行く生徒は少数で、みんなAO入試で早々に進路を決めていた。それなのに、私はセンター試験で受かっていた4年制大学ではなく、一般入試で受かったマイナーな短大へ行く。異例のことだったようで、他の生徒のように褒められることはなかった。また、クラスメイトたちとはそんなに仲良くなかったので、詳しい進路は言わずに上京することだけを伝えた。
短大に入学してわずか1ヵ月後には渡米。人生初の海外にワクワクしていたし、飛行機に乗っている時も一緒に参加する短大の子たちとの会話が弾んでいた。13時間も乗っているので疲れからか1番に爆睡したし、機内食が出る時間までまったく起きないほどリラックスしていた。でも、飛行機から降りて空港を出たとき、一気に不安になってきた。高校までの授業で学んできた英語はアメリカで通用するのか。知らない土地で犯罪に巻き込まれたり、もし迷子になったりしたらどうしよう。そんなことを考えていたら、いつの間にか留学先の大学に到着していた。
そこでは今までの不安が吹き飛ぶくらい、刺激的な経験をたくさんした。授業は基本的に月〜金で5つの講義があり1日3講義、その他は短大生だけのミーティングタイムや現地の学生たちとのレクリエーション、各講義で出された課題に取り組むなどをしていた。講義中はもちろんすべて英語、日本人同士の会話も英語(たまに日本語が出ちゃうときもあった)でしていた。課外活動では、ハリウッドや美術館、フロリダのディズニーランドへ行ったり、幼稚園で子どもたちとお絵描きやおもちゃで遊んだりした。
最も印象的だったのは、2泊3日のホームステイ。ホストマザーは、私がもっと変わろうと思えるきっかけをくれた。私の過去のことを話すと「もっと自信を持っていいのよ」と励ましてくれ、自分の娘のように可愛がってくれた。私たち留学生とホストファミリーとのお別れ会では、3日間の中で私が明るくなっていく様子や、外出先で積極的に英語で話そうと頑張っていたことについて皆に話してくれた。あっという間に短期留学が終わってしまって寂しさはあったけれど、充実感や達成感で満たされて無事に帰国できた。
アメリカで学んだことを短大の授業や普段の生活でも活かせたし、日々の努力のおかげで学内推薦を勝ち取って3年生から大学進学することが決まった。社会人になって英語はあまり使わない仕事についたけれど、ホストマザーが掛けてくれた言葉を胸に毎日頑張れている。アメリカに行きたいという単純な理由だけで選んでしまった進路だったけれど、社会人になった今でも私の選択は正しかったと信じている。
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