留学はわたしの価値観をぶっ壊した。

わたしが海外に興味を持ち始めたきっかけは、両親だと思う。海外、国内問わず出張の多い父と英語の本を常に読み続けていた母。幼少期から海外旅行に連れて行ってもらう機会があり、毎年ではないものの、大学の海外研修なども含め、数年に一度は海外に行かせてもらっていた。

海外の文化は好きだったものの、留学など縁もゆかりもないと子供ながらに思っていた。高校卒業後の進路希望で、海外留学を選択した同級生もいたが、すごいなあと思うだけだった。しかし、大学2年生になった頃、ふと人生で一度は海外に住んでみたいという淡い夢を持つようになった。きっかけは覚えていない。

社会人になり、仕事柄長期休みが取れず、さらにはコロナもやってきた。大学卒業以降、海外に全く行けていなかったわたしの海外欲が爆発した。この仕事はまたやりたくなったら戻るとして、今一旦やりたいことに目を向けようと決心したわたしは、20代半ばでワーキングホリデーにいくことを決めた。

国はオーストラリア。日本以外で、ましてや実家以外で暮らしたことがなかったわたしは、海外で生活出来るなんて、どんな輝かしい暮らしが待っているんだろうと、勝手な幻想を抱いていた。

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ちょうど1年前に、計2年間のワーキングホリデーを終え、帰国した。この数年で身にしみて感じたことは ”人間、どこで暮らしても、根本的にやることは変わらない。寝て、働いて、食べる。” ということ。

冷めた感想だなあと自分でも思う。生きる場所が変わるだけで、中身はそのままなのだから当然のことだが、わたしは海外に出てやっと理解した。本帰国後に感じることがこんなことだなんて、渡豪前の自分では考えられなかった。極論、居住地・生きる上で必要な栄養源・収入源があればどこででも生きていけると、この2年間移動生活を繰り返す上で学んだ。

そして今まで普通だと感じていた価値観は、自分の生活圏内での普通であっただけで、一歩外に出たら、それはぶっ壊れることを身をもって実感した。

今まで、普通って何?という質問に対して、普通は普通じゃんという回答しか思いつかなかった。海外はシェアハウスが主流であり、異なる暮らしをしてきた者同士での生活が当たり前になる。

他文化同士の生活はなかなかハードだ。中身をよく知った人間同士でさえ、価値観が異なるとストレスが生じるのに、それが全く異なる文化を持つ他人となれば、ハードモードであることは想像に容易い。文化が明らかに異なる者同士でも、コミュニケーションがしっかりととれ、許容しあえる間柄であれば無理ではないだろう。しかし、世の中、他人とうまく付き合える人間ばかりではない。わたしもそう。ひとり時間が気楽で大好きだ。

ファーム生活中は日本人と共同生活していたにも関わらず、理解できない部分が多く、ストレスを感じた。しかし、時間が経って、あれはわたしの価値観の押し付けだったのかもしれないと気がついた。

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この経験を経て、自分は自らの視点で、あの人が変わっていると思っていたけど、見方を変えれば、わたしも変な人なのかという視点を手に入れた。真っ当な人間だと勝手に認識して生きてきた20数年。ショックだった。

しかし、これを受け入れたら心は一気に楽になったように思う。自分が何をしていても、変だと思う人、魅力的だと感じてくれる人、なんとも思わない人がいると理解できれば、自分がやりたいことに忠実に生きることができる。

これに気が付くことができただけでも、このワーキングホリデー期間は自分の人生にとってかけがえのない2年間だったと胸を張って言える。