二度の中止に泣いた留学の夢。「トビタテなかった私」が得た強さ

「留学」と聞いたとき、思い浮かべるのは真っ赤な世界地図だ。毎日、毎日、毎日!ずっと見ていた外務省HPの渡航危険情報レベルが表示された地図を思い出す。2020年春、世界中が未知の感染症に翻弄され、その長い闘いをはじめたとき、私は夢だった留学を断念させられた。大学3年生になったばかりだった。もう5年も前のことだが、社会人3年目を迎えた今でも、まだ時折うずく傷跡のようになっている。
当時の私は留学支援プログラムに応募して、結果待ちをしていた。語学の勉強はもちろん、綿密に計画を立て、大学の先生や留学支援課のスタッフさんにもアドバイスを伺いながら完成させた応募書類。自信があった。
しかし、2020年4月13日「新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を踏まえ、採用手続の中止を決定」というメールが事務局と当時の文部科学大臣から来た。私を取り巻く世界の音が、遠くなった。
当時の状況もあり、家からは出られないし、春休みは延長されて友人にも会えない。メンタルは最悪だった。まだ選考の結果で不採用だったら、サクッと切り替えられたかもしれない。私のせいでも、ましてや誰のせいでもない。だからこそ辛かった。やっと再開した大学の授業(といってもオンラインだが)で、留学の相談をしていた先生には「トビタテなかったです~残念!」と言ってみたけど、うまく笑えなかった。
季節が移り替わって夏になると、世間も感染症に少し慣れてきた。そんなとき大学から別の留学奨学金の連絡をいただいた。どうやら先生の口添えがあったらしい。もともと私は母子家庭育ちで、大学の学費も私名義の貸与型奨学金と母が捻出してくれた貯蓄でまかなっていた。そのため留学費用は自分で稼いだアルバイト代+奨学金で、と考えていたため、すぐさまその話に飛びついた。
期間は翌年の2月から夏まで。つまり大学4年生の前期に被るため、就活や教育実習(当時の私は教職課程も履修していた。基本的に実習は前年度に申し込みを行い、辞退は不可。)にも支障が出る。でもそれらを延期して、後ろ倒しにしてでも留学という経験値でカバーできる、将来にプラスになる!と思い、準備をはじめた。感染症だって、その頃には落ち着くだろうし、ワクチンの話もニュースで出始めたし、きっと行けるはずと。
だけど、真っ赤な世界地図はいつまで経っても真っ赤なままだった。結果として渡航危険レベルが下がらない限り、留学生派遣はできないということで2度目の留学中止となった。私を取り巻く世界の音が、また遠くなった。
憎き感染症との闘いは1年以上続き、世界中が終わりの見えない日々をそれぞれのペースで歩んでいた。私は色々悩んで、留学を選んだのに、留学にも行けないわ、教育実習にも行けないわ、就活も持ち駒ゼロのプー太郎。どこにも行けないただの私がいた。何のために遊ぶ時間や寝る間も惜しんで、勉強とバイトに明け暮れる日々を送っていたのか。私の人生、何なのか。「置かれた場所で咲きなさい」というけれど、私の種は根腐れしてダメになっちゃった。
けれども、捨てる神あれば拾う神ありというように、その後色々な出会いがあった。私も目の前のことに全力投球する体力だけはあったので、留学に行けなかった分を埋めるように忙しい毎日を過ごし、たくさんの経験をすることができた。語学力も伸びたし、大学を卒業するときには優秀学生賞なんていうものもいただいた。
生きていくなかで、どうにもならないことはある。困難にあったとき、真っ向から突撃したり、受け止めたりするのではなく、しなやかに対応していく。そんな術をあの日々から学んだ気がする。
わたしは26歳。ワーホリだってチャンスはある。このお盆休みに自分のキャリアを考える中で、海外大学院への進学も考えはじめた。留学は何も学生の専売特許ではない。誰だって、私だってやれるんだ。それに、深くしゃがみこまなければ、大きくトビタテないでしょう!あの時の私にそう言ってあげたい。
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