通帳に奨学金の振り込み。自分の価値が試されているよう

物欲は少ないほうだったと思う。田舎暮らしで移動は徒歩か自転車。定期購読する雑誌もなかったし、メイクに興味をもつほど自分の顔に興味はなかった。
しかし、人よりも慎ましやかな生活を送る代わりに、私には学費の支払いという特大級の出費があった。
奨学金、月額8万ちょっと。それでも学費はまかないきれず、施設使用料やら設備費やらで半年に1度、20万近い金額を用意しなくてはならず、バイトばかりしていた。

「奨学金は借金です」「必要な額だけ借りましょう」。耳にタコができるくらい学務課から言われた言葉だ。
必要な額って、どのくらいなんでしょうか。4年間で400万近い“借金”をするのは、いけないことでしょうか。私は、そんな大金を使って学問をする価値のある人間でしょうか。

毎月通帳に奨学金が振り込まれているのを見る度に、自分の価値が試されているようで不安になり、そんなことで不安を感じている自分の小ささにまた落ち込む。
それでも「これは自分への投資だ」と言い聞かせ、少ないキャパをフル稼働させてバイトにも勉学にも励んできた。毎日くたびれていて、かわいげのない18歳だったなと思う。

「結婚できない」の言葉。なめられていると気がついた

「お金ないわ〜」「お金ほしいよね」
大学生にとっては定型文みたいな会話だろうに、私が「わかる〜」と言うと、「ぽんちょって大して買い物もしないのに、なんでお金ないの?」と聞かれることがよくあった。余計なお世話である。
そして「買い物しないのになんでお金ないの?」という台詞の次くらいによく言われたのは、「奨学金借りてる女の子とは、結婚できないわ」だ。
年齢問わず色々な男性、しかも付き合ってすらいない真っ赤な他人に言われた。

当時、私は好きな人がいたので、それなりにこの台詞に傷ついた。
彼の周りには自分のバイト代でおしゃれを謳歌する、キラキラした女共がいるんだろう。奨学金があるだけで、自由な大学生活はおろか将来の結婚まで諦めなくてはいけない。そんなことをウジウジと思い悩んだ。
誰にも相談できず、ただ腐っていくのを待っているような気分だった。見た目だけでなく、お金がないことに囚われて心まで醜い。最低の人間だと思った。

これが変わったのは、2年生のときの短期留学がきっかけだ。
私の学部は半年間の留学が必須という学部で、もちろんそれが学費を高騰せしめてはいたものの、提携校に普通よりも安く留学できるという点では魅力的な制度だったと思う。

そんな制度で中国に留学していたある夜のこと。私は同じクラスの日本人数名とぬるいビールを飲んでいた。
「帰国したら何をして、どんな企業に就職するか」
珍しくそんな真面目な話題で盛り上がっていたとき、私はうっかり奨学金を借りている話をしてしまった。するとまたお決まりのように、「奨学金借りている子とは、結婚できないわ」と言われたのだ。「だって、結婚したら俺が借金返してあげなきゃいけないじゃん」と。

ああ、私はなめられているんだ、とその時初めて気がついた。女は結婚したら仕事を辞める。女には、大金を稼ぐような能力はない。女には、社会的な力がない。

奨学金を借りたのは、家庭の致し方ない事情だった。それでも、大金を借金しても大学を辞めなかったのは、自分が400万の価値を上回る人間になってやる、という覚悟で、自分の決めたことだ。
だから中国語はめちゃくちゃに勉強していた。同じ期間勉強していた「結婚できないわ」発言をした件の男より、圧倒的に話せた。成績も比べものにならないくらい私のほうが良かった。それなのに、なんだこいつは。

「すぐに返してやる」。この覚悟が自分を支えている

「私をなめるなよ。たかだか数百万、すぐに返してやるわ!」

たかだか数百万。本当はそんなこと思っていない。数百万は大きな借金だ。返せるものなら一刻も早く返したい。借りなくていいなら借りたくなかった。
それでも、見栄を張って自分が発したこの言葉は、今日まで私を支えてくれている。

お金は大切だ。生きていくのに必要不可欠だ。だからこそ、お金は人生における覚悟を数字で表していると思う。その覚悟は誰にも、仮に結婚するくらい好きな人にでも、肩代わりさせるつもりはない。
私は自分でお金を稼いで、借金を返して、好きなことをして生きる。自分の力で、最高に幸せで楽しい人生を送ってやるのだ。

私はもうすぐ大学を卒業し、社会人として働き始める。今年の10月からは、本格的に奨学金の返済がスタートする。
おそらくこれからもお金に困るだろうし、男になめられることもあるだろう。それでも私はここまで覚悟を決めて踏ん張ってきたのだ。社会の荒波に飲まれてもそれを忘れないために、今回文字に書いてみた。
さあ、首を洗って待ってろよ、幸せな未来。