『言葉の国イランと私: 世界一お喋り上手な人たち』(岡田恵美子著)
これは、ある女性が今から五十年前にイラン国王に手紙を送り、イランに留学したときのことを収めた本である。この本が私の背中を押してくれた本だ。
積読の一冊にあれよあれよとかけられた魔法と筆者に抱いた尊敬
この本に出会ったのは私がまだ大学一年生だったころのこと。大学生協に教科書とともに並べられていた。当時の私は大学生になって浮かれていたということも有り、何でも手を伸ばしていた。部活動やサークルの新入生勧誘は言わずもがな、休日は県内のどこかに出かけたりしていた。この本もいわば大学生ハイとでも言うような熱に浮かされた状態で手に取った一つだった。
しかし、折角本を買ったのはいいものの、私はこの本を半年ほど本棚に放置していた。所謂積読である。毎日次から次へと課題や遊びにかまけているうちに、じっくり腰を落ち着けて一冊の本を読もうという気分にはならなくなっていた。
ようやく本を手に取ったのは秋も深まる十一月。サークルや部活動に入会し、春学期の成績も確定した、ある日のことだった。
ちょうどこのとき、私は留学に行くか行かないか迷っていた。色々な人に話を聞いたり、本を探しているときにこの本の存在を思い出した。当時の私は宙ぶらりんで、まだ行くとも行かないとも決めかねていたから、何かの参考になればいいな、くらいの軽い気持ちで手に取った。そしたらどうだ、あれよあれよという間にこの本の持つ魔法に掛けられてしまった。
ペルシア語に出会い、国王に手紙を書いて!そして留学まで行ってしまうという彼女の行動力や熱意が軽いタッチで描かれていた。
私はすぐにこの本を積ん読の一員に加えていたことを後悔したけれど、「積読は読まれるときを待っている本たちの行列」という言葉を思い出した。今がそのときなのだとパズルのピースがぴっちりハマったときの感動を覚えた。私はページをめくる度に筆者に驚き、羨望と尊敬の念を抱いていた。
そして読み終わった頃には、私の留学への障害なんてあってなきに等しい物、と思うようになった。
彼女の留学話を読んで、私の懸念点が案外ちっぽけだったと気づいた
こうして文字に起こすと恥ずかしいのだけれど、私が留学に行くか迷っていた理由のいくつかには海外で生活できるのか、とか語学的な問題はどうなのかとかそういったものがあったからである。留学をするかしないかの情報収集の中でいくつか留学経験者のブログを見たり、体験談を見たが、そのときはここまですっと心に入ってこなかった。
だが、この本では今よりもずっと技術もなかった時代の、私と同年代の女性が年単位で留学を成し遂げたということがのっているのだから、私は俄然やる気になった。
彼女と自分の環境を比較してみよう。
彼女は留学に行くために、国王に手紙を書き、諸々の手続きをしたが、私は交換留学だから大学に必要書類を出せばいい。言語の壁も一応必要とされる言語レベルはクリアしている。費用も奨学金が充実しているし親の後押しもある。
そういって一つ一つ見ていったら、「何だ、私が懸念していたことは案外ちっぽけなことだったんだ」。
感染症拡大で途絶えた留学の挑戦。でも、この経験は無駄じゃない
それからの私は今思い出しても吃驚するくらい行動が早かった。
必要書類を集め、ぼんやり頭の中にあった志望動機を文章に落とし込み、現地での履修計画を組み、目が回るくらいのタスクをこなした。
そのタスクに追われているときに、ふと「やめようかな」とまいってしまいそうになったとしても、この本を思い出して、私は手を動かし続けた。
私が交換留学に応募を決めてから約1週間後、締切の日ギリギリに必要な物を全てアップロードした。最後は時間との闘いで、震える手でパソコンのキーを叩き続けた。大学受験よりも時間に追われている感覚があったかもしれない。
その甲斐あって、私は何とか希望していた学校の交換留学派遣生になった。
残念ながら、世界的な感染症拡大の影響でその年は中止になり、その次の年もリベンジを意気込んで候補生になったものの、中止になり、私の留学への挑戦はそこで途絶えてしまった。
だが、交換留学をめざしてやったことは無駄ではないと思っているし、この本が私の背中を押してくれたことは事実だ。今でも何か挑戦する際に、やらない理由を探してしまうときに、この本を思い出す。
たった300Pの紙の束で、人生や価値観が変わった。これからもそのような体験があるかと思うと今からワクワクしている。