東京との文化資本の格差に絶望した高校時代。その反動で今がある

高校一年の夏。私は強烈なコンプレックスを感じていた。それは「地方在住である」という事実だった。
私は中学校生活の半ばでとあるお笑いコンビに出会い、ネタのセリフを覚えるほどどっぷりとハマっていた。彼らの主な活動場所はテレビのバラエティ番組ではなくお笑いライブ。彼らの活動を追うには劇場に足を運ぶことが必要だった。地方在住の私にとってそれは叶わなかった。劇場を主戦場にしている彼らのファンでありながら、劇場に行ったことのない私は他のファンに対する劣等感を感じていた。
高校受験に合格し、スマホデビューを果たした私は早速彼らのファンと繋がるためのSNSアカウントを作った。学校に彼らについての話ができる相手がいなかった私にとって、彼らにまつわる話題を気軽に発信したり受信できる場所はとても居心地がよかった。SNS上で繋がった相手は年上の人が多かったが、中には自分と同年代の人たちもいた。私と同い年で私と同じくらい彼らを好きな人がいる。その事実が嬉しくて、なんだか心強かった。
アカウント開設からほどなくして彼らが主催するライブの情報が公開された。彼らの主催ライブは7年ぶり。私も周りも湧き立っていた。私の高校では大学のオープンキャンパスに参加することが夏休みの課題として課されていた。そこで私はオープンキャンパスと抱き合わせる形で彼らのライブを観に行くことにした。初めて生で観る彼ら。ずっと映像だけで観ていた彼らが目の前にいる。「劇場」という空間で同じ空気を共有している。その事実にとてもドキドキしたことをよく覚えている。
彼らの主催ライブが終わっても、日常的なライブ出演は続く。地方に戻った私のスマホには、彼らの別のライブの感想を興奮気味に綴る文章がたくさん流れてきた。私の高校ではアルバイトが禁止されていたため、交通費や宿泊費を考えると観に行くことができてもせいぜい一年に一度。同い年の子がつぶやいていた「今週は○○でのライブ、来週は××のイベント、再来週は☆☆…。金欠つらい」という文章が悔しくてたまらなかった。悔しい思いを抱えたままの高校三年間で私はお笑い以外に演劇や音楽なども好きになり、劇場やライブハウスへの熱は高まっていく一方だった。
私は都内の大学に進学した。興味のあった分野を専門的に扱っている大学が都内に多かった、という理由も事実ではあったが、本心では東京の大学生になっていろんなライブに行きたかった。私は東京に引っ越した三日後に一人で横浜までライブを観に行った。夜21時半過ぎに終わるライブでも日付が変わる前に自宅に帰れることが衝撃だった。
大学四年間は毎月2、3回は劇場かライブハウスに足を運んだ。好きなバンドの年越しライブに参加し、余韻に浸りながら車も人もいない元日の道を歩いて自宅まで帰ったのはいい思い出だ。上京前から大好きだったお笑い芸人やアーティストのライブはもちろん、少し興味がある程度の気持ちでも気軽に観に行くことができる環境がとても楽しかった。大学の近くでやっている、というだけの理由で観に行ったりもした。
同じ高校から都内の美術系の大学に進学した友人と展覧会を観に美術館に行ったことがある。彼女も同じように地方で生まれ育ったことへのコンプレックスを感じると話していた。「周りには高校生の頃からこういう展覧会とか観に行ってた人もいて。そんな人たちとスタートラインが一緒なわけないんだよ」
一方、大学で知り合った、生まれも育ちも東京だという友人に「東京でJKやってたら放課後に渋谷とか行けるんでしょ?」とコンプレックスについて話したことがある。すると彼女は「行けるけど行かない人の方が多いよ」と言った。「あなたはそうやってライブとかに積極的だけど、都内在住でも行かない人は行かないから」と言われハッとした。私が足繁くライブに通うのは高校時代にコンプレックスを感じていたからで、それがなければこれほど熱心には劇場には行っていなかったはずだ。
高校時代の抑圧があったからこそ、大学でそれが解放され、様々なおもしろいものやそうではないものに出会うことができた。社会人になり、東京を離れた今でも、少しでもビビッと来るものがあれば足を運んでみる精神は私の中で生きている。
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