スマホがなくても生きていける、と常々思っている。
思っているのに、時間があればついスマホを触ってしまう。目的もなくSNSを眺めてしまい、あっという間に時間が経っている。もっとやりたいことができたはずなのに。
でもSNSを見るのをやめられない。その理由は自分でもわからない。

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今年の夏休み、南の島へ旅に出た。宿に着いて部屋に入ってひと息ついたあと、あれ、スマホがつながりにくいかも?と思った。

何回も訪れていたので、電波が弱いことは知っていた。
「新規メッセージあり」の通知がスマホ画面に表示される。内容もある程度までは読める。ただ返信できない。ここまでつながりにくかったかな?と思い、私の端末の問題かもしれないと何度か再起動をしてみた。でも状況は変わらない。宿にはWi-Fiもない。

返信できないのは困った……とりあえず「電波がつながりにくいので、この返事はいつ送信されるかわかりません」と書き添え、送信ボタンを押した。スマホを持って移動したとき、電波がつながったどこかのタイミングで送信されるだろう。

南の島の話に興味を持ってくれた友人が何人かいた。撮った写真をSNSにリアルタイムで投稿しようと思っていたけど、それもできそうにない。

最初の1日は不安だった。島内を移動するときはスマホを必ず身につけていたし、どこか安定して電波が入る場所はないかと確認していた。
ただ、連絡を取れない時間が長くなると、だんだんどうでもよくなってきた。仕事はきちんと引き継ぎをしてきたし、連絡をくれた友人には「電波がつながらない場所にいた」と、あとから伝えればいい。
スマホを気にして旅行を楽しめないなんてもったいないし、常々スマホがなくても生きていけると思っているのだから、ちょうど良い機会だ。

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2日目からはスマホを持たずにでかけることにした。
スマホという世界が閉じた分、目の前で起こるできごとに集中できるようになった。

ピンクの花の前で立ち止まってみる。スマホがあれば写真が撮れたのに、と思いながら花に顔を近づけると、花の中のめしべがまた、かわいい花の形をしていることに気づいた。周りを見渡すと、朝顔のような紫の花、小さな白い花も咲いていた。ただの緑の木だと思っていたら、シークワーサーが実っていた。

気づいていなかった小さな発見は他にもあった。
雨を吸い込んだ木や土の香り。木陰を通り抜けていく風の心地よさ。遠くで鳴くヤギの声。
サンドウィッチに入っているゴーヤの苦味がいつもより少ないこと。

視点がミクロからマクロになっていく。今まで鈍っていた感覚が蘇ってきた気がする。
おかえり、私。

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この感覚、何かに似ていると思ったら、小学生だったころの夏休みだ。近くの公園で、ずっと飽きもせず遊んでいたな。砂場で、すべり台で、花や草で、そこにあるもので楽しめる新鮮な気持ちがあったことを思い出した。

結局、島で滞在した6日間、スマホはほとんど触らなかった。
普段はスマホを触って過ごしていた時間も、宿泊している人たちと語らったり、漫画や本を読んだりして過ごし、疲れて22時には就寝する。
そこには何のストレスもなかった。最後には海に泳ぎに行くために必要な干潮と満潮の時刻だけが気になるだけの日々になった。

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ただ、これはあくまで旅に出た場合の話だ。日常生活に戻ったらまたSNSをだらだらと見てしまうのではないか?と不安になる。でも自分の中に余白ができる心地よさを知ってしまったから、旅の魔法が解けたあとにも、きっとスマホとのほどよい距離感を保てると信じている。