「しあわせにしない男の人に恋をする」という、人生でやってみたかったこと

人生で経験してよかったなと思う出来事の1つに「猛烈な片思い」が挙げられる。それこそ少女漫画のように、その人の瞳を見た瞬間に、“この人が運命の人だ”と全身に電気が走った。
その日からだいたい2年間くらい熱狂的に彼のことを一方的に愛していたと思う。人生は一度きりだから、とラブレターも書いたし、デートを申し込んで、普段料理なんてしないのに唐揚げとサンドイッチを彼に振る舞いたいと思い立ち、小学生の頃、運動会の時ぐらいしかお目にかからない重箱のお弁当箱に不恰好なおかずとときめきを詰めて動物園に向かった。
恋愛するときはどうしても打算が働く。歳を重ねて人生を振り返った時、「あれは青春だったな〜」と感じることを経験しておきたいと思ってしまう。その考え方は今に始まったことではなく、高校生の時からそうで、あまり好きでなかった同級生の男の子とクリスマスにディズニーに行った。デート当日母に「どうして好きでもない男とディズニーにいくのよ」と訊かれたので、「だって高校生で男の子とディズニーに行くのって青春じゃない?」と正直に答えたら「意味わかんない」と言われた。母はモテる人だった。
地球がひっくり返りそうなほど他人を好きになるチャンスなんてそうそう巡ってこない。私が一目惚れしたその人は女性関係の評判の良くないことで有名な、いわゆる”沼男”だった。自分でも好きになった時から、この人とハッピーエンドを迎えることはないと薄々わかっていたと思うが、私の脳は迷わずGOサインを出した。
セフレになることを自ら申し出たり、もう絶対に連絡しないと決めたのに、気がついたらトーク画面を開いてメッセージを送っていたり、電話をかけたり、破滅的な行動をたくさんした。恋という病にすっかり蝕まれ、誤った判断ばかり下して、自分でもコントロールが効かなくなった。それでも、頭の半分側では「年相応の恋愛が経験できて良し」と今の状況を冷静に肯定的にとらえていた。彼とセックスするためだけに夜の街に繰り出す時は大体、今日の仕事を無事やり遂げ、少し肩の力が抜けたような疲れと安堵が同居した面持ちのサラリーマンとすれ違った。彼らとは生きる世界線も逆方向に思えたが、そう思えること自体によろこびを感じていた。
「しあわせにしない男の人に恋をする」は私の人生でやってみたいことリストの項目の一つだったのだろう。おそらくそのリストは、私が生まれてくる前か物心つく前に自分で書いた。今ではそこに「経験済み」のスタンプがかすれることなく色濃くはっきりと押されている。そのスタンプを押してから、「私を大切にしてくれる人をしっかり愛する」ことを経験できて、本当に幸運だった。私にとって、人生とはスタンプラリーのようなものなのかもしれない。
今日、予約した美容室に向かうべく、最寄駅へ歩いていたら、50代くらいの夫婦らしき男女とすれ違った。男女ともに腕がたるんでおり、余った皮がシワとなっていて年齢を感じたが、腕の先ではしっかりと互いの掌をしっかりと指で結んでいた。20代の頃から一緒にいた2人なのかな?と勝手に想像してうれしくなった。やりたいことリストに「いくつになってもパートナーを愛する」という項目が増えた。
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