恋は、一人ではできないし、自分の気持ちだけで突き進めるものではない。そう気づいたのは、学生時代に経験した、私にとって最初で最後の「つらい恋」だった。

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好きな人がいた。当時の私は、毎日がその人を中心に回っていた。廊下ですれ違うだけで幸せ、少しでも話せた日はそれだけで学校に来る意味があると思っていた。ただの片思い。それでも、見ているだけで満ち足りていた。

けれど、その恋は思いがけない方向へ転がっていった。親友に「好きな人はいるのか、聞いてきてほしい」と頼んだ。本人は「ただの友だちだから聞いてくるよ」と軽く引き受けてくれた。翌日、彼と親友が付き合ったと聞いたとき、頭が真っ白になった。

え?私は彼の好きな人を知りたかっただけなのに。まるで自分がキューピッドになったみたいだった。しかも、私が彼に片思いしていることは、親友にも知られていたのに。「勝手に振られた」そんな感覚が私を押しつぶした。

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最初は怒りだった。なんで?どうして?次に恥ずかしさ。知られていた気持ちが、無惨に裏切られたように思えた。悲しさ、悔しさ、惨めさ……いろんな感情がぐちゃぐちゃに混ざって、「なんで?」の一言しか頭に浮かばなかった。

やがて二人は放課後を一緒に過ごすようになった。帰る方向が真逆なのに、彼は毎日彼女を送っていた。夕暮れの道で、前を走る二人の自転車。その後ろを、距離が縮まらないようにペダルを漕ぐ私。その姿を見るのがつらくて、私は帰り道を遠回りするようになった。初めて彼氏ができた親友に「おめでとう」と言う余裕なんて、私にはまったくなかった。そんな自分が、なおさら惨めに思えた。

結局、私は数年その親友と連絡を絶った。胸の奥に残った感情を抱えきれなかったから。

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高校が変わり、しばらくしてから再び連絡を取ることになった。久しぶりに会って話した時間は、不思議なくらい楽しかった。すでに彼らは別れていて、私もあの頃のどうしようもない感情の渦からは抜け出していた。変わったわけじゃない。ただ、それぞれが少し成長して、あの頃の未熟さを知れるようになっていただけだと思う。

振り返れば、親友にとってもあの恋はチャンスだったのだろう。私が片思いしていると知ったから、自分も好きだと言い出せなかったはずだ。でも、彼に「自分が好きだ」と言われたなら、その想いを受け止めない理由はない。あの時の私は、そんなことを想像する余裕もなく、自分の気持ちだけをぶつけてしまっていた。

だからこそ、今は思う。あの恋は、私の未熟さが引き起こした出来事でもあったのだと。

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「つらい恋の先にあったもの」それは、相手を責める気持ちではなく、未熟だった自分を受け入れる力だった。そして、人の気持ちに寄り添うということの意味を、ほんの少し理解できるようになったことだった。

あの学生時代の淡くて単純な恋は、確かにつらかった。けれど振り返れば、私を大人にしてくれた大切な成長の種だった。