この関係は共依存?その問いに心からNOと言えるようになるまで

振り返ってみれば、あの頃、私はいつも泣いていた。
お互いの住んでいる地域まで片道一時間半以上かかる、県をまたぐ中距離恋愛。
会えるのはだいたい週に一度。そしてその貴重な機会を、ほぼ毎回喧嘩と涙で消費していた。
喧嘩の理由は、他愛もないことから、真顔にならざるを得ないものまで、さまざまだった。
割り勘か、どちらかが奢るのかという、お金の支払いのこと。デートの帰り道で、家に着いたという連絡をした、しなかったという言い合い。同性同士で付き合っている自分たちの未来と、両親へのカミングアウトについて。
相手も私も精神的に不安定な時期が重なってしまい、折悪しく秋から冬へと移り変わる時期、身にこたえる寒さも相まって、デートは毎回喧嘩に終わってしまった。
ペアリングを予約した帰り道に喧嘩したことも、出張で一週間会えなくなる日の前夜に激しい口論をしたこともある。
喧嘩のあとはたいてい、相手がふとんをかぶって眠り、私は眠れずにひたすら泣いて夜を過ごした。あんなに喧嘩ばかりだったのに、なぜか「別れる」という選択肢は浮かばなかった。
付き合ってまだすぐの頃で、お互いに、相手をみつけた喜びをまだ新鮮におぼえていたせいかもしれない。喧嘩はつらかったけれど、それはふたりの仲がすれちがってしまうのがつらいのであって、別れたり、距離を置いたりすることはもっと考えられなかった。
これは「共依存」ではないだろうか?
何度も自問自答した。
他人にうっかり相談すると「そんな関係性よくないよ」「別れたほうがいいよ」と言われてしまいそうで、できなかった。
本当に共依存じゃない? お互いに好きだと思い込みたいだけで、ただ相手に寄りかかっているだけじゃない?
何度も、何度も自分に問うた。
その度に、きっと違う、違うはずだと答えたい自分がいた。
絶対に、依存ではなくお互いに自立して、相手を尊重しあえる関係を築こう。
そうなっていないと感じたら、すぐに別れよう。
心の中でそう決めた。
あれから四年。私とパートナーは、現在一緒に暮らしている。四年前と比べると、喧嘩の数は十分の一くらいに減った。自分でも、あのときはふたりともどうかしていた、と思う。
四年前と違うのは、毎日一緒に過ごしている分、「特別な話題」が減ったこと。
会うたびにデートに出かけ、自分たちの今後について何度も話していた当時とは違って、今では一緒にいることが「日常」になっている。
日常を過ごしているだけでは、そうそう喧嘩は起こらなくなった。
そして、「喧嘩の対処法をみつけたこと」。
パートナーは言い争いになるとすぐに寝室にこもるけれど、私は話の途中で先に眠られることが苦手なタイプなので、パートナーが目覚めるまでずっと怒りに駆られるか、ひとりで泣き明かすことになる。
だから、夜遅い時間や雨でないかぎり、外に出て歩き回ることにした。歩いていれば気もまぎれるし、新鮮な外の空気を吸っていると「あんなに言い争わなくてもよかったな」とクールダウンすることができる。
外に出られないときは、音楽や動画や物語の世界に逃げる。
イヤホンをして自分の時間に浸り、お風呂にお湯を張って、セルフケアをする。
あるいは家事をしながらポッドキャスト番組を聴いて、悩んでいるのは自分だけじゃないんだなと実感しつつ、家のことが片付いていく気持ちよさを味わう。
自分で自分をなぐさめてあげることで、相手をゆるそうという気持ちが芽生えるのを待つ。
私とパートナーの関係は、共依存だろうか?今自分に問うたら、自信をもって「NO」と宣言できる。
つらい時期を経て、自分なりに喧嘩の作法を身につけたからこそ、お互いに寄りかからずに一緒にいることができるようになった。
誰に相談することもなく、自分でみつけた、つらい恋のしあわせな結末を今、つくっている最中だ。
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