私。二十代OL、彼氏なし、実家暮らし。
兄は独立、父母は仕事で日中不在。私は在宅勤務中心。我が家のヒエラルキーの頂点である猫様に、毎日PCの向こうから圧をかけられ、打ちかけのメールを暗号化される日々を送っている。
コロナ禍で増えたひとりの時間。
圧倒的に、自分に使える時間は増えたと思う。
ひとりの方が好きだけど、飲み会の誘いを断るのは苦手だった
私の対人スタンスは『来る者はなるべく拒んで去る者追わず』。だから、友達は少ない。
どっちかというと、大勢より少数、なんならひとりの方が好き。
でもよく「いつも誰かといるイメージがある」と言われる。
深い関わりのない大多数からは人当りの良い印象を持たれているのだろうか。
たしかに、冷酷無比ではないと思う。大切にしてもらったら、その分、相手を大切にしたいとも思う。
そんなわけで、ありがたいことに、仕事のない時間はよく埋まる。
誘いを断るのは、苦手だった。
特に、会社の飲み会は強敵である。
新人のうちから大型プロジェクトのメンバーとして配属され、雑用として奔走。
黒縁か銀縁メガネの硬派な技術職が大半を占めるこの場所で、貴重な女性社員。しかも若手。どうもうっかり重宝されてしまったのだと思う。
しかし、察して頂きたい。①実家暮らし②ひとりが好き③ペットがいる、という三点を抑え、尚且つプライベートがわりと不明な女の大半は、のめり込んでいる趣味があるということを!
近年、それをヲタクと呼ぶらしいが、私の中でヲタクとはその道を極めたる方々のことを指す。それに比べれば自分などまだまだ。いいとこ愛好家クラスだろう。この程度でヲタクを名乗るなど本職の方々に失礼だ。
それでも好きなアニメはリアタイで視聴したい。マンガは発売日に読みたい。ちなみに腐ってはいない。
減らない録画、見逃す生配信、積まれた『新刊』。
後回しにできない家事、増える残業、膨れる飲み会での出費。
自分の時間が作れない。誘いを断れない。なんでだろう?
私的に、人を誘うというのは難易度が高い行為だ。だから相手にも、その可能性を想像してしまう。よって断る時はとても申し訳なく思う。がっかりしてくれる可能性を考えると、尚更だ。「他の予定がある」という逃げ手も本当ならいいが、嘘をつくよりは相手を優先する方がいい。
つまり私は、付き合いが悪いと思われたくない、もっとはっきり言うなら、嫌われたくない臆病者だ。
コロナ禍で許された「ひとり」。「飲み会嫌い」の友人と話すと…
自分の弱さに自己否定と苛立ちがつのる日々。
それを変えたのが、昨今のコロナ禍だった。
緊急事態宣言、蔓延防止策の実施。
誰かと会うのが、社会的にNGとなった。
必然的に減る誘い。増える自宅での時間。
『ひとり』を許された。
そんな風に感じた。
この件について、私は友人と共有したくなった。
その友人、実は同僚である。というか先輩である。そういえば男である。
出社時間がギリギリなこと以外真面目な勤務態度、地頭がよく業務知識も豊富で、責任感が強く実は面倒見が良い。武闘派の部長からは一目おかれ、温和な課長からは一歩距離をおかれる若手有望株。あとはもう私服がダサいくらいの弱点しか思いつかない。しかしそれを指摘させはしないという間合いの持ち主。そういえば、弱点がもう一つあった。「口下手」だ。
そんな友人からの誘いは珍しい。
私たちは緊急事態宣言の裂け目に慎ましく肉を食い荒らしに行った。
そこで「会社の飲み会が減った」「外へ行かなくてよくなった」「ひとりの時間が増えた」「気が楽になった」ことを気軽な調子で伝えた私。
友人は「義務の飲み会でも、全然ないのは寂しいもんだね」と笑った。
びっくりした。
なぜならこの男の『会社の飲み会嫌い』は他の追随を許さないほど圧倒的だった。そのエピソードは尽きない。義務系飲み会の帰りに同じになった電車で、鋭い愚痴を聞かされたある日の数十分に、私は何度「まあまあ」と言ったことか。さすが、スピッツを聞いてる顔のくせに最近の再生回数トップが『うっせぇわ』な野郎だ。
ちなみに業務上座りっぱなしの為何やら腰を痛めたそうで、この友人はあなたが思った通り不健康である。
『寂しい』を共有できなかったのは、友人と私の圧倒的な違いのせい
それなのに。
『寂しい』と、君が思ったのはなぜだろう。
『寂しい』と、私が思わなかったのはなぜだろう。
共有できない感情を、無視できなかった。
理解してほしかったんじゃない。
自分が理解できなかったことが悲しかった。
考えながら家に着いた時、ハッとした。
「ただいま」に返ってくる「おかえり」。
友人と私の、圧倒的な違い。
友人は、十八歳で両親と死別。親類とは不仲。大学入学で地元を出て、バイト漬けの毎日。生きる為に。周りより早く、大人にならなければいけなかった人。
本当に、ひとりなのだ。
ひとりが、生活の前提なのだ。
私は、違う。
家に帰れば人がいて、勝手のわかりきった地元に住んでいて。
喪失も知らない。
なんて、恵まれているのだろう。
凄く、寂しくなった。
素直に『寂しい』と言ったこの人の寂しさを、私は本当の意味ではずっとわからないままなのかもしれない。
知らないことは、ある意味幸せなことなのかもしれないけど。
ひとりの時間が増えて、初めてわかったことがある。
好きとか嫌いとか、それ以前に私は、本当に『ひとり』になったことがない。
私が好む『ひとりの時間』は、『誰かと過ごす毎日』が前提だったのだ。
私の毎日は、誰かがいたからこそ、充実していたのだ。
その『誰か』に、私もなれているのだろうか。
なれるだろうか。
この人の『誰か』に、私はなりたい。
そんな風に、思った。