コンプレックスと聞いて、色んなことが思い浮かんだ。

背が低いこと。指の第二関節が太いこと。脚が太いこと。髪の毛が癖毛なこと。目の左右差。まだまだ沢山あるのだけれども、こうして文字にすると、自分がどれだけ外見に囚われているのかが分かる。

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中学生の頃、初めて自分のお小遣いで、ヘアアイロンを買った。今よりも、もっと癖毛が酷くて、毎日早起きして、必死に前髪を伸ばした。サラサラな髪の毛の友だちが本当に羨ましくて、何をしているのか聞いた。答えは「縮毛矯正」だった。けれど、縮毛矯正なんて高くて出来ない……親にお願いしても無理なのは分かっていた。お小遣いで賄える値段でもない。だから、必死に髪の毛を引っ張った。真っ黒で剛毛な髪の毛が憎くて、親にバレないようにお風呂で酢を掛けて茶髪にしようとしたこともある。色は抜けてくれなかった。どれだけ真っ直ぐに伸ばしても、伸びてくれない髪の毛にイライラして半泣きだったのを覚えている。私がイライラしながら、チリチリになるまで熱を込めた髪の毛は、泣いているように見えた。

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どうしてこんなにも外見に囚われるようになったんだろう……と考える。何気ない会話。家族だからこその言葉。人前で、親戚の前で「太ったね」って言われたこと。傷ついたこと。笑ってごまかしたけれど、その日の夜、布団の中で一人泣いた。そんな経験が積み重なって、私は外見ばかりを気にするようになっていったのかもしれない。こうして言葉にしていると、どんどん見えてくることがある。今でも気にしてしまうこともある。

でも、でも……と思う。私が憧れる人は。みんなみんな、外見なんて関係なく美しく生きている。自分の目標に向かって真っ直ぐに生きる人。目標なんてそんなものが無くても、毎日を大切に過ごしている人。なにも飾らない等身大の人。

もちろん、コンプレックスを完全に捨てるなんて無理だ。もう少し歳を取ったら、きっとシミが気になったりするのだろう。外見に囚われていたらキリがないのだ。分かっていても、気になってしまう。それは、内面がまだまだグラグラとしているからなのかもしれない。自分が好きだと思うことを真っ直ぐに貫ける人になりたい。内面が美しい人になりたい。人に怒りを抱かないとか、そういうことではなく、自分に嘘をつかない人でありたい。外見に囚われて泣いていた時間を、これからは、私らしく生きる力に変えていきたい。

でも、でも……と思う。私が憧れる人は。みんなみんな、外見なんて関係なく美しく生きている。自分の目標に向かって真っ直ぐに生きる人。目標なんてそんなものが無くても、毎日を大切に過ごしている人。なにも飾らない等身大の人。

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だから、今、私は自分の心の声を聞こうと頑張っている。難しいときもあるし、成功している人に、きらきらとして見える人に、嫉妬もしてしまう。そんな黒い自分が見えた時、自分のことが嫌いになることもある。でも、そんな自分を否定しないように、認められるようになりたい。コンプレックスがあってもいい。むしろそれがあるからこそ、私は私として輝けるのだと思う。そう言える日が来るように、今日も私は自分の心と向き合い続ける。未来の私は、きっとシミやしわを気にしながらも、大好きな人と紅茶を飲んで笑っている。そんな姿に、私は憧れる。