カラコンもまつパもやめた。美しさを認めるのは世の中ではなく自分

昔はコンプレックスなんて、数えきれないほどあった。今もまったくないとは言い切れないけれど、それでも何とか折り合いをつけながら生きている。
最初に気になったのは目だった。当時、中学ではアイテープや絆創膏で二重をつくる子が増えていた。私も友達に教えてもらいながら試してみたが、そんな頼りないものではびくともしなかった。どうしても諦めきれなかった私は、さまざまな方法を試し、最終的に行きついたのは百均の両面テープ型アイテープ。それを夜寝る前に貼り、朝学校へ行く前には外す──そんな生活を続けた。結局、中学3年間で二重にはならなかったが、自分の二重幅を知れたことは大きな収穫だった。
次に気になりだしたのは鼻だ。私の鼻は軟骨がほとんどなく、鼻先が柔らかい。そのため脂肪が乗り、のっぺりとした印象を与えていた。同級生からそれを指摘されたことで、ますます意識するようになった。ノーズクリップを買ってはつけたり、手でつまんで形を変えようとしたりしたけれど、そんなことで変わるはずもない。受け入れられないまま、高校生になった。
そして体重。中学の間に身長が15センチも伸び、それに伴って体重も激増した。周りには小柄で華奢な子が多く、私は余計に大きく見えた。丸みを増していく体、抑えられない食欲。受験期のストレスも重なり、過去最高体重で高校生活を迎えることになった。
それでも高校生活を送る中で、私は少しずつ自分の顔や体を受け入れられるようになった。その大きなきっかけの一つは化粧だ。コンシーラーやアイシャドウ、シェーディングを覚えると、肌や鼻の形が気にならなくなり、自信が持てるようになった。中学からの積み重ねもあってか、アイプチで二重をつくれるようになったのも大きかった。
そして何より、友達の存在だ。みんな本当に優しくて、「かわいいね」「全然気にしなくていいよ」といつも声をかけてくれた。その言葉に何度も救われた。実際、体重は大して変わらなかったけれど、「変わらなくてもいい」と思えるようになった。私は高校時代、コンプレックスを隠した自分であれば、少なくとも受け入れられるようになっていた。
大学に進んでからの変化といえば、カラコンをつけ始めたことくらい。気分によってまつパやまつエクを試すようになり、とくにまつエクでは「何もしなくても二重になる」ことに感激した。
けれど最近は、カラコンもまつパもアイプチもやめてしまった。金欠という事情もあるが、それ以上に「そこまで執着しなくなった」ことが大きい。ファンデーションもやめ、下地とコンシーラーだけで済ませている。これはついに本当の意味で自分を受け入れられたのだろうか。いや、むしろ「これでもいいんだ」と思える心の余裕が生まれた、という表現の方が近い気がする。
こうして振り返ると、コンプレックスはただ時が解決したのではなく、悩み、考え、試行錯誤を重ねたからこそ今につながっているのだと思う。その時間は決して無駄ではなく、むしろあったからこそ今の自分を認められるようになったのだ。
コンプレックスをアドバンテージに変えられたわけではないかもしれない。けれど「美しさとは自分の中で認めるものだ」と気付いた瞬間から、少しずつ心は軽くなった。そして不思議なことに、自分のことが好きになっていった。ありのままをただ受け入れただけなのに、いつの間にか自分に愛着が芽生えていた。世の中に溢れる美の基準に縛られず、惑わされない。自分の中で自分を認められた時、初めてその呪縛から解き放たれるのだ。
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