「先生あのね」
それは、私の大嫌いな宿題だった。
小学2年生の頃、作文を書く宿題が出された。その時のノートのタイトルが「先生あのね」だった。
先生あのね、今日はこんなことがあったよ。あんなことがあったよ。
そんな風に書く宿題。ほぼ毎日のように出される宿題は、私にとって地獄のようなものだった。

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語彙力がなく、どう言葉で表せば良いかわからない。そもそも作文の書き始めってどうやって書くのがいいのかわからない。何があったか書くって言ったって、学校に行って、家に帰って、この嫌いな宿題してるだけじゃん、と投げやりな気持ちになるだけ。
やりたくない。でも宿題をやっていかないわけにはいかない。だから、なんとかわからないなりに言葉を絞り出して書く。

しかし、ただ出来事だけを書くだけではノートの数行しか埋めることができなかった。親に宿題の確認としてノートを見せると、1ページは書きなさいと、怒られたものだった。
怒られたことと、上手く書けないことにイライラしながらも1ページ仕上げると、1マス空けて書き始めていないことを指摘される。すると全部消されて書き直しになった。段落を変えるときもうっかり1マス空け忘れると、せっかく最後までかけた文章をまた全部消されて書き直しになった。何度も何度も書き直すことになり、怒られる悲しみと自分の書けない不甲斐なさで涙が溢れることもあった。
だから、何度も書き直しをされながらやる「先生あのね」は大嫌いだった。

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しかし転機が訪れた。小学4年生の頃だった。
地獄の作文の宿題は出されなくなり、自分の好きな計算や漢字の宿題は楽だった。でも、行事によっては作文を書かなければならない事もあった。「私の思い出を作文で書きましょう」というような宿題だった。
毎日作文を書かされることを思えば、1日くらいはやらないとなと、思い出の出来事を書き始めた。

自分の印象に残っている出来事を考えたときに、すぐに頭に浮かんだのは、幼い時に、心臓の手術をしたことだった。あの時の手術に対する恐怖と、それとは別の母の愛情に対する感謝の気持ち、あれならノートの途中で文章が終わってしまうことはないだろうとスラスラと書き進める事ができた。宿題に手こずることなく書く事ができて安心した。

無事に提出できて安堵したものの、作文は特に上手いわけでもない。作文のタイトルは「家族」って書きたかったのに、私は「家旅」って書いてしまって直されてしまったのを今でも覚えている。

でも、私の思い出の作文は、学級通信に載せられていた。驚いた。
私は文章を書くことが苦手で、誰かに作文で認められたことはない。家族からもよく書けているなんて一言も言われた事がなかった。そんな中、学級通信に載せられた自分の文章には、担任の先生の「気持ちのこもった文章だった」と言葉が添えられていた。
嬉しかった。自分のことを認めてもらえた気がした。

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そこから、少しずつ作文に対する思いが変化していった。認められないことの方が多かったため、しばらくはイヤイヤ作文を書くこともあったが、中学生、高校生、大学生と年齢を重ねるうちに、文章を書くことで認められることが増えていった。
いや、実際は認められていることが増えたというより、文章を書く機会が増えたといった方が正しい。文章を書くことに抵抗が少なくなり、文章を書いて何かに挑戦しようと思う機会がいつの間にか増えていたのだ。

気づいたら、かがみよかがみに投稿したエッセイも100本を超えた。
掲載された嬉しさと読んでもらえる喜び。
自分の中にしまっていた思いを発信できることに感謝している。
いつか、自分の書く文章で、誰かの心を支えたり、救ったりできる人になりたいと今は思う。