一重は“損”って扱いを受けがちだが、実は一重は結構“得”だということはあまり知られていないだろう。

自分でいうのも何だが、私はそれはそれは驚くほど綺麗な一重だ。奥二重でもない。まつ毛は下向きだし、瞼が特に薄いわけでもない。絵に描いたような一重なのだ。

中学生の頃、私の「アイプチテク」は誇れるくらい上達していた

5歳になったころ、母は「一重がかわいそう」と言って、私にアイプチを施した。あまりうまくいかず、のりで貼り合わせたような瞼だったと思うが、母があまりにも「可愛い可愛いと」言うので私は満足げだった。

中学に入学すると、洒落気付いた女子中学生たちは、専ら二重至上主義に成り果てる。バランスなんてどうでもいい! とにかく大きな目が可愛い! 正義! そのために、二重の子も二重幅を無理やり広げる。カラコンは大きめ。つけまは重ねてバサバサに(私の時代の流行)。

目が二重の子もアイプチをしてたので、アイプチ自体がコンプレックスになることはあまりなかった。それどころか、脅威の上達を果たし「アイプチプロ」とまで呼ばれ、むしろ誇らしい域まで達していた。

しかし、大人の階段を登る年齢になった時、私に大きな壁が立ちはだかったのだ。ラブホテルである。当時の彼は、私の巧妙なメイクを見抜けず「君の目が好きだ」とまで言っていた。

非常に困った。いくらウォータープルーフとはいえ、お風呂で顔が濡れてしまうのは怖い。お風呂でヨレなかったとしても、濡れてしまったという不安から、そのあとは気が気ではなかった。

その後の修学旅行や研修会、プールに猛暑日、二重モードを常として入学した私にとっては、要らない小さな不安がつきまとう青春となった。

ファッションに合わせて、二重と一重を使い分けたメイクをするように

よくよく考えたら、私も二重至上主義者だったのだと思う。一重であるという事を、恥じていたし、それに、傷ついていた。

大学に入学する頃、私は重度のオタクを拗らせていた。アニメや漫画は面白いもので、それぞれのキャラが個性的に作られている。そして、一重キャラは必ず登場してくる。少しクールだったり、ミステリアスだったり、美しい存在として君臨することがしばしばある。

変身願望を持つようになった私は、キャラクターを参考にメイクするようになった。たちまち一重が際立つ顔に大変身だ。

ファッションに合わせて、二重と一重を使い分けたメイクをするようになった。和装やクールに見せたい時は一重で、洋装で可愛らしく見えたい時はパッチリ二重。

目が二重なのは可愛い。しかし、二重の人には出来ない化粧がある。一重になることだ。私は一重なお陰で、両方出来る。一気に雰囲気を変える事が出来る。

一重を楽しむようになってから、男性に声をかけられる回数が凄まじく増えた。しかも、その半分くらいが外国人だ。口々に「アジア人らしい美しさが良い」と言うのだ。日本人男性も、「一重の時の方が好きだ」と言ってくれる人は想像以上に多かった。

一方で、女の子には二重の方がウケがいい。私の経験上だが、モテメイクは女の子にモテる。モテ関係なく、自分の顔の特性を生かしたメイクは男性ウケがいい。

メイクは「武装」だ。武器のバリエが多ければ多い程強いし、役に立つ 

私をチクチクと痛めつけていた“二重至上主義”やメディアに煽られた情報は、外部から植え付けられた感覚なのではないだろうか。情報は大切だが、それを信じ込む必要はない。少し変わった事をすれば、「可愛くない」と非難する人は居るかもしれないが、「素敵だ」と言ってくれる人も必ず一定数いる。

残念な事に、その一定数の声が大々的に反映されることはあまりない。だから、似合うかなぁ? と挑んでみる事が大切なのだ。

私は、メイクは武装だと思っている。武装時に持つ武器のバリエーションが、多ければ多い程強いし、役に立つ。たしかに、皆が使う壊れにくくお手頃な量産型武器は、手に入れやすいし扱い易いかもしれない。 でも、みんな同じ物を持っていたら勝てない。

だから、色々な武器を試して、使いこなす。一重は二重が持てない武器を、既に一つ持ち備えているのだ。その点かなり得している。戦場に合わせた武装を出来る人が最強になれる。
試験運用が故、敗れる日もあるが、私は最強を目指して日々色々な武器を試している最中だ。