ここ最近、じわじわとパーソナルカラー診断が流行りだした気がする。その人にどんな色が似合うのか診断するもので、質問に答えていくと、最終的に4つのタイプに分類される。
私もコスメの似合うカラーを知りたいなと思い、いくつかやってみたところ、ほとんどの診断で「ブルベ冬」と結果が出た。日焼けするときは赤くなってから黒くなるとか、瞳や髪の黒さとか、結構当てはまっていた。
ブルベ冬や日韓ハーフで美人にあてはまらない私は一体何?
ブルベ冬の人は、洋服ははっきりとした色や黒が似合う、リップはローズ系が似合う、逆にオレンジは似合わない、などいろいろと参考になることは書いてあった。確かに、私がオレンジ色のリップを塗るとちょっとアヒルみたいになる。
ただ、どこかのサイトに書いてあったことに、違和感を覚えた。「ブルベ冬の人には美人が多い」。私は一重まぶただし、美人に分類されるような容姿は持ち合わせていない。これ、ただ似合う色を診断しただけのはずだよね…?ブルベ冬=美人、これがふつう、そう言われたような気がした。ふつうに当てはまらない私は一体何…?
高校時代のことを思い出した。ある日の、授業と授業の間にある休み時間のこと。隣の席の女の子が世界史の先生と話していた。
「先生、韓国のハーフの子って美人じゃないですか?私前に韓国のハーフの友達がいて~。その子めっちゃ美人だったんですよ!」
私の父は在日の韓国人で、私は日韓のハーフである。横に韓国のハーフの人間がいるんだけど。そう思った。その子に悪気がないのはもちろんわかっている。
私がハーフだということを知らなかったかもしれないし、そう言い聞かせようとした。でも、すごくもやもやした。その子にとっては、韓国人(韓国と日本のハーフ)=美人、これがふつうだった。そのことがなんとなく嫌で、傷ついた。ふつうから外れた人間であると言われたような気がした。
「ふつう」は嫌いなのに、美人における「ふつう」にはあてはまりたい
ふつう、と言われるのは正直好きじゃない。
いつだって人と違う服を着ていたいし、人と被らないものを持っていたい。それなのに、かわいいと美人の「ふつう」には当てはまりたい、そう思ってしまう自分がいる。
目は大きくて二重でなくちゃとか、鼻はシュッとしてて高くなくちゃとか。この世の中には、かわいい・美人の「ふつう」がはびこっていて、それに近づくためにアイプチをし、カラコンをし、メイクを研究する。中には整形する人もいる。
私は、一重まぶただし、小顔じゃないし、団子鼻だし、人中も長いし、おまけに胸もない。言い出したらきりがないくらいコンプレックスがある。いつも、目を大きく見せるために必ずつけまつげをして、頑張って二重を作る。
大学に行く時毎日必ずカラコンをするのはやめたけど、友人と遊ぶ時は今でもカラコンは手放せない。ふつうだと思われるのはめちゃくちゃ嫌なのに、「ふつう」であろうとして、メイクは毎朝1時間以上かかる。そんな自分が悔しくてたまらない。
でも、一重まぶたの小さい目で友達に会う勇気がどうしても出ない。「私のパーソナルカラーはブルベ冬だと思うんだよね」とか、美人じゃない人は言うことが許されないような気がしている。
お金をかけてプロの診断を受けても、美人以外がブルベ冬だと名乗ったら「あの子ブルベ冬っぽくないね」と思われるような気もしてしまう。日韓のハーフなのは事実だけど、「ふつう」から外されたあの時のように。
自分は自分。世の中にはびこるかわいいの常識からサヨナラしたい
私は、いつか「ふつう」を超えたいと思って、このエッセイを書いた。一重まぶたが流行する時代は、多分来ないと思う。眉毛の形、メイク、二重幅の広さ、いろいろと顔にもトレンドはあるけれど、二重まぶたが可愛くて一重まぶたが残念なのは、この先も変わらないのだと思う。
朝メイクがうまくいかない日は、ぼんやり二重整形のことを考える。でも、いつか私はこの小さい目を受け入れて、「自分は自分、カラコンもつけまもアイプチもいらないよ」と思える「ふつう」を超えた人間になりたいと思っている。
私は、この文章を読んでいただければわかる通り、かなりのネガティブだ。でも、容姿に対するコンプレックスのせいでネガティブになった部分もかなりある。容姿だけで生きづらいと感じている女の子に、少しでも共感してもらえたら嬉しい。世の中にはびこる女の子の「ふつう」。いつか私はサヨナラしてみせる。