画面越しに出会った友達は、私の名を呼び、私を取り戻させてくれた
私は昔から友達が少ない。仲良くなりたくて頑張って話すのに、嫌われたくない、傷つけたくないという思いが強く出てしまい、しかも神経質で、すぐ傷ついて自分から離れていってしまう天邪鬼なところがある。その割に、相手が離れていくと「裏切られた」と思ってしまう愚かさもある。
高校生になってインターネットをよく使うようになり、推しや趣味ができた。あるアイドルグループが好きで、オープンチャットに参加した。多くを語る方ではなかったが、受け止めてくれる人が数人いて、少人数のグループLINEを作り、やがて一人の子と個人でやり取りするようになった。学校と違って、趣味でつながった友達はどこか心地よく、あたたかかった。顔を知らないのに、幼なじみのようにたくさんのことを熱く語れる存在だった。
私たちは学校に行くのがしんどいという共通点があった。理由は違っても、励まし合い、励まされ、心と体を保っていた。学生時代の友達には見えない壁があった。学校はプライドや序列の世界で、素直に弱音を吐けない。みんなが下の名前で呼び合う中、私だけ「さん」付けで呼ばれていたことが胸に刺さった。悪気のない言葉ほど、扱いにくいものはない。責められない分、傷は深い。
ネットで出会ったその子は、私を名前で呼んでくれた。呼び捨てで呼び合う関係は、対等で安心できた。返信が空いても不安にならない距離感、言葉を急がせない間の取り方。会ったことがないという肩書きが、最初は少し寂しく悲しかった。でもある日「会おう」と決め、私は会いに行き、画面越しの関係は本当の友達になった。
人は「ネットの人は危ない」と言う。確かに注意は必要だ。けれどそこでしか出会えない縁もある。私は“ネットには危険もあるが、いい人もいる”という当たり前のことに気づかせてもらった。人は肩書きという形になった言葉に弱い。
「ネットの友達」という言葉に私も縛られていたが、実際に顔を合わせ、同じ空気を吸った瞬間、そのラベルは意味を失った。名前をまっすぐ呼ばれることは、居場所をまっすぐ示されることでもあるのだと思う。
彼女は、私が自分で作った枠や呪いを壊し、弱さごと包み込んでくれた。私は感謝しかない。大人になってできた友達の一番の違いは、距離感を尊重し合えることだ。既読の速さで愛情を測らず、会えない時間に不安を育てず、互いの生活や体調を見込んで待てる。共通の環境でつながるのではなく、共通の価値観でつながる。だから少ない言葉でも深く届く。
学生のうちに友達を作らなければと焦る人に伝えたい。焦ってしまう自分も、そのままでいい。大丈夫、と思えない気持ちも大丈夫だ。出会う時期は人それぞれで、早い人もいれば遅い人もいる。必ず、あなたを見つけてくれる誰かがいる。あなたが光って見える誰かがどこかで待っている。
まず今の自分を少しだけ愛してみてほしい。自分を受け入れるほど、人を受け入れられる。そうして歩いていれば、友達は遅れてでも必ずやってくる。
私はそのことを、あの子に教わった。私の当たり前を、当たり前として取り戻させてくれた人。大人になってできた友達は、数ではなく、私の生き方の芯を静かに支えてくれる存在だ。

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