「あなたは、お姉ちゃんに似なかったのね」 

その一言で、全てを悟った。女なのに、低くハスキーな声。遠くに通らないかすれた声。それは、私にとって致命的なことだった。  

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高校生の時、私は弁論大会に出場していた。全国大会に出場経験のある姉を追いかけ、共に練習し、挑戦を続けた。 
弁論の全国大会に向けて、姉を担当していた先生に教わった。原稿は私が想いを込めて書いたもので、大きな指摘はなかった。 

しかし、発表の仕方には引っ掛かりがあるようだった。 

「さ行が、あまりはっきり言えてないわね。それに、声が響かないし通ってない。お腹から声出してる?」 
厳しい指摘だった。でも、さ行が苦手なのも、声が通らないのも事実。腹式呼吸や発声練習をしたが、改善は見られなかった。  

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すると先生は言った。「あなたは、お姉ちゃんに似なかったのね」 
慰めのつもりだったのかもしれない。でも、その言葉は私にとって棘だった。姉はハキハキと話し、滑舌もよく、遠くに響く声だった。だからこそ舞台でも堂々としていた。 
それに比べて私は、滑舌もイマイチで、声も通らない。ハスキーな声で発表向きとは言い難く、自信を持って舞台に立つのも難しく感じていた。 
それでも私が舞台に立つのは、自分を諦めたくなかったからだ。

大学生の教育実習でも、似たような苦い経験をした。自分の授業をたくさんの先生方に見てもらった時のことだ。授業の感想にこんなことが書かれていた。

「声が後ろの方まで届いていない」「声が聞き取りにくい」「フラッシュカードがあってわかりやすいが、声が響いてない」

ここでもか。突きつけられる現実。

自分でもわかっていた。周りに言われなくても、自分が一番わかっていた。でも、自分でわかっていても、周りに言われると、本当だと突きつけられる感覚に陥る。突きつけられた時、その言葉は心に刺さる。

あくまでも感想。指導だから言われて当たり前。私の声がダメだから、言われるのは当然のこと。そうは言い聞かせても、やはり辛かった。悲しかった。

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弁論大会の練習で言われた言葉も、教育実習で言われた言葉も、全部事実。事実だからこそ、心に深く刺さる。言い返すこともできない。それに、言われたところで治すことが困難だ。もう、それが私の声質だから。

話すことが怖いと思うこともあった。
滑舌が悪いこと。はっきり話しているつもりでも、聞き返されること。緊張すると震える声になること。声について、いろんな指摘を受けること。
私は、私の声が嫌いだ。

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でも、ある時、通話中の彼が言った。

「わかの声は、柔らかくて優しい」

男性は、女の子らしく、高くて可愛い声がいいに決まってると、勝手に思っていた。でも、私の低くハスキーで、遠くに通らない、かすれた声を『柔らかくて優しい』と表現していた。
驚いた。

「またまたぁ」

なんて返しつつ、内心嬉しかった。私の声ってそんな風に聞こえるのかな?でも、確証はないし、私はこの声を優しいと思ったことはない。

しかし、会ったことのない友だちにも同じようなことを言われた。

「声聞くと、すごい癒される。包み込んでくれるみたい」

1人だけだと、ただ喜ばせるだけのために言ったのでは、と疑問に思ってしまうが、2人になると、なんとなく説得力が増したような気がした。
私の声……もしかしたら悪くないのかもしれない。
ハスキーで通らない低い声が、柔らかくて優しく聞こえるのかもしれない。響かない声だけど、包み込む声なのかもしれない。
大勢向けの声ではない。でも、一人ひとりと向き合った時の声としては、良いものなのかもしれない。だから、私は笑顔で話す。自分の声、今はそんなに嫌いじゃないと。