「力不足で、ごめんなさい」
泣きながら会場を後にし駅へ向かう私。家に帰って1人号泣した。
また2位だった。
輝かしい成績を収めた姉に憧れて、弁論大会に出場。結果は2位だった
私は中学、高校と弁論大会に出場した。
きっかけは2個上の姉の弁論大会出場だった。姉は中学校で行われる弁論大会で優勝、高校での県大会で連続最優秀賞、3年連続全国大会出場と輝かしい成績を収めた。
私はそれを追うように弁論を始めた。文章を書くことは苦手で、発表も滑舌や発声が悪く得意ではなかった。でも、姉のようになりたい、舞台の真ん中で堂々と立つ姉の姿を見て思った。
姉や母に文章を添削してもらい、推敲していった。滑舌や発声練習を家で繰り返し行い、中学校で行われた弁論大会では優勝することができた。
いける。私だってできる。そう思った。
しかし、高校1年の秋の県大会では2位だった。
1つ上の2年生が1位だった。悔しかった。でも、次こそは…最後の県大会は必ず最優秀賞を取る!これは義務だ!姉はずっと最優秀賞だった。それは叶わなかったけど、私だって経験を積んだ。来年の秋は必ず取る!
しかし、またしても私の成績は2位。1位は1つ下の1年生だった。義務が果たせなかった。人前で泣くことはほとんどない私だったが、涙が止まらなかった。私の渾身の文章だった。私の最後の県大会だった。でも2位だった。
県で上位2名だけ出場する全国大会に出場する権利は得たが、私の中には県でも2位にしかなれない。という気持ちが残った。
でも、今まで書いてきた文章の中で1番気持ちを込めた最高のもの。最後の全国大会は諦めずにやろうと心に決めた。
全国大会。スゥッと息を吸い「私の胸には傷があります」と話し始めた
高校3年生の夏、全国高等学校総合文化祭弁論の部に出場した。発表前は緊張して、舞台裏をぐるぐる歩き回った。舞台の上に立つとたくさんの人が観客席に座る姿が見えた。スゥッと息を吸い一文目を言った。
「私の胸には傷があります。」
ここからは私の世界だった。
先天性の心疾患で手術した経験があった私。臓器移植法が改定され、脳死は人の死かどうかを問う。
私の主張は賛否を問うものではない。よく考えてほしい、ということ。観客は何百人といる。できるだけ多くの人に伝わるといい。でも私の中で本当に伝えたい内容は脳死のことでもなければ複数の人でもない。私が心疾患を乗り越え、今この舞台に立てる喜びを家族に伝えたかった。
「『できることなら代わってあげたい』と手術前夜に母が泣きながら私に言った。」
舞台の上だったが、込み上げてくるものがあった。寂しかったこと、悔しかったこと、悲しかったこと、辛かったこと、山ほどあった。でも、私は生きてこの舞台に立てた。家族が見に来てくれた。
最後の一文を言い終わると、母と姉が泣いていた。忘れられないあの夏
「あなたの命は、誰かの命を救うことができるかもしれません。あなたが生きていることが、周りの人を支えているかもしれません。臓器を提供することで、誰かの命を救うのか。脳死の宣告を受けても、生き続けることで、人の心を支え続けるのか。命のつながり方を決めるのは自分自身です」
発表もクライマックスになる中、ふと家族のいる方に目をやった。祈るように私を見ていた。
県大会で悔しかったことなど忘れ、私は全国の舞台を噛みしめた。1位を取ることが義務だと追い込んでいた県大会。
でも、もっと大切なことがある。誰に、何を伝えたいか。
今は、順位が大事なわけではない。私の大切な人たちに私の想いを届けるだけ。
「あなたの命。私の命。命はすべてつながっています」
最後の1文を言い終わり、観客席にいる家族の方に目をやった。母と姉が泣いていた。
それを見た私も自然と涙があふれた。涙があとからあとから流れていった。悔しさや嬉しさではない涙。やりきった人しか味わうことのできない涙。届けたい人に届いた気がした。
舞台裏で1人で泣いた。あの秋とは違う涙。私にとって一生忘れられないものとなった。
ありがとう。
あの夏の挑戦は私に一生の思い出をくれた。