私の高校最後の全国大会は、東日本大震災が起こった2011年だった。
全国大会の開催地は福島県。放射能の影響で開催地が変更されたり、辞退する学校が出たりと異例の状況になっていた。私の通う学校も、全国大会の辞退をしないかと提案してきたが、私は頑なに出場すると主張した。
引率なんてやりたくないと、先生から手紙までもらったが、私にとっては場所も先生の意見も関係なかった。高校最後の夏を最高の思い出の夏にしたかった。
そのためにはどうしても全国大会に出る必要があった。この大会にかける思いが大きかったからだ。
三重県の大会で2位以内に入らないと出られない切符。しかも、私にとっては3年間の挑戦ではなかった。姉が3年連続出場し、その後に続いたのが私。姉妹で合わせて5年目になる年だった。姉妹としての最後の挑戦となる。
県では姉は1位、私は2位という高成績を残せたものの、全国では最高でも姉の17位。上位15位の入賞に届いていなかった。私も前の年は30位台と結果はいまいち。5年目の挑戦ではなんとしてでも入賞したい。リベンジしなければと思っていた。
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全国高等学校総合文化祭弁論部門、夏目姉妹の5年目、最後の挑戦。
発表順はくじ引きで最後から3番目。
緊張した。食べることが大好きな私が、お昼ご飯も食べられないくらい緊張した。舞台裏では落ち着かず、座って待つこともできなかった。
正直、私には弁論に向いた文章構成能力もなければ、滑舌の良さもない。練習しても、サ行をはっきり発音できない。姉ができて自分ができないことが悔しかった。県で1位を連続して取っている姉に対して、2年連続2位の成績しか残せなかった自分が全国で賞をもらうなんて無理かもしれない。ましてや去年は半分以下の順位。
でも、ここまで来たんだから思いっきり自分の思いを届けなければ。
そう思い舞台に立った。
汗ばむ手。時より震えてしまう声。熱を帯びた身体。自分のものなのに自分のものではないような不思議な感覚だった。
だから、舞台での自分の発表が、どのようなものだったか曖昧な記憶しかない。
ただ、発表を終えたとき、バックヤードでなぜか涙が流れたことだけははっきり覚えている。
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結果は12位。5年目の最後の夏で初めての入賞だった。
嬉しかった。福島の大会に来て本当に良かったと思った。
お世話になったビジネスホテルとの別れの日。感謝の手紙と地元の伝統工芸の連鶴を作って置いて帰った。それで私の中の夏の思い出は終わりだった。
でも違った。
まさか返事がくるなんて思ってもみなかった。お世話になったビジネスホテルから、紅白ダルマと震災に負けずに頑張ると書かれた手紙。なんともステキな贈り物だった。
かえって気を遣わせてしまって申し訳ないと思いつつも、現地の人の温かな心配りに感謝の気持ちでいっぱいになった。
大会で行っただけの土地。2、3日しか立ち寄らなかったのに、丁寧に返事までくれて、地元の名産品の紅白ダルマをくれたステキなところ。とても愛おしい土地に感じるようになった。
入賞できたから良かっただけではない。こうやって大会を通じて、現地の人の温かさを知ることができたことが、私にとって大きな収穫だった。
だからこれからずっと忘れることなんてない。
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また行くね。コロナや仕事の忙しさで行くタイミングを逃してしまっているけど、もらったダルマの目を入れてあげたいんだ。
今度行ったらあの時もらった紅白ダルマに目を描くって決めているから。目を入れたら記念にダルマと写真を撮るんだ。赤べこのお友だちも仲間入りさせてあげて、一緒に2011年を振り返るんだ。
私の地元の三重県とはだいぶ離れているけれど、私の心はいつまでも福島とつながっている。