わたしは、だれかの評価の前でしか、美しくいられない

かわいくなりたい、美しくなりたい、無責任なくらい漠然と、そんな欲望が次から次へとあふれて尽きない。でもそれだけじゃ、今日も停滞したまま体重は減らなくって、そのくせなんだかやる気も出なくて昨日は寝る前の筋トレをさぼってしまったりしたし、甘いものを少しでもいいから食べなきゃ、自分のご機嫌がとれない日もある。

食べるの好きだし運動は苦手だからダイエットなんかほんとはしたくない、メイクはするのも落とすのも面倒だけど、キラキラのアイシャドウを入れたあとの自分はかわいいと思う、前髪のセットがうまくいかない日はイライラするし、暗いほうが似合うよって恋人に言われたから、単純だけど髪を暗くした、柄シャツが好きなのはオシャレに見えるような気がするからで、デートの日はそんなことよりちょっとでも近づいてほしくって、ちょっとタイトなニットを着たりする、
家の中で毛玉のついたスウェットを着る自分のこと、今は好きだなんて到底思えないけど、たとえばその姿が写真に収まったとき、芸術のはしくれみたいに見えてくれと思う。

わたしは、だれかの評価の前でしか、美しくいられない。 

常に誰かからの視線を頭に浮かべて、この身体を飾っている

別れるとき、元恋人に「スリムな人が好きなんだよね」と言われたらしい、美味しそうにご飯を食べている姿が一番かわいい友達は、決して不健康に太っていたりもしないのに本格的にダイエットをはじめた。見返してもっと素敵なひとを見つけるんだと笑う彼女はもう少しずつ前を向いていて、相変わらずかわいくって美しい、だからこそ、傷つけた誰かを思い出すとやりきれなかったりする。

他の誰かから、認められるため。褒められるため。好きなひとに、もっと好きになってもらうため。
それが不特定多数だったり特定の誰かだったりすることはあるけれど、わたしたちは、常に誰かからの視線を頭に浮かべて、それがときどきものすごく面倒になったり、とんでもない希望になったりしながら、この身体を飾っている。

自分自身でどうありたいかを選択できることが“自由”なんじゃないの

“自由”って言葉を聞いたとき、どうしてもまだ、誰に何を言われたって、どう思われたって、自分の美しさを貫くひとの姿しか思い浮かばない。好きな服を着て、好きなメイクをして、好きな髪型をして、それが“自由”で、“ありのまま”なんだって、だから、他人の目を気にして、他人からの評価を自分の価値にしたりして、そうやって生きる自分は、ひどく窮屈なのかもしれない、と考えることもあるけれど、でも“自由”ってそういうことじゃないんだよなって、わたしはだれかがかわいいねと言ってくれるたびに思う。

なにが一番幸せで、だれの視線を集めたくて、どんな言葉が欲しくて、そのために、どんな方法をとるか。
そういう選択をみんなみんな自分自身でできることが、“自由”なんじゃないのって、かわいいと言われて満たされる、自分のこころの前で思うのだ。

わたしは、恋人に、友達に、かわいいと言われたい。できるなら不特定多数に美しいって思われたりなんかしちゃったら、たぶんもっと嬉しかったりする。
そりゃああなたのことが好きだからオンリーワンもナンバーワンもどっちも欲しくなったりするけど、でも相対評価なんかじゃなくって、絶対評価がいい。人の数だけある美しさの中で、わたしだけの、美しさを見つけてほしい。

今日も自分のことをいちばん好きでいるために

だから今日も、ダイエットをする。自分がいちばん美しくみえる体型になりたいから。
ピンク色のアイシャドウや、レッドブラウンのリップを、どんなふうにのせるか考える。自分がいちばんかわいく見えるメイクがしたいから。
何着も洋服を引っ張り出して、とっかえひっかえ着てみたりする。自分をいちばん引き立たせるファッションを探したいから。

かわいくなりたい、美しくなりたい、
今日も自分のことをいちばん好きでいるために、いちばん好きなひとたちに、できるだけたくさん、わたしを好きになってほしいから。