私にとって文章を書くとは、これまで生きてきた中で避けては通ることのできなかったものです。日常生活で文章を書くこともあれば、人生の転機になるくらい真剣に文章を書くこともありました。
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いざ、文章を書くとはどのようなものかと思い返すと、その始まりは幼稚園の頃でした。
初めて書いた文章が何だったのかは覚えていませんが、最も古い記憶は友だちへ書いたお手紙です。幼稚園の友だちから初めてお手紙をもらい、私は母と一緒にレターセットを買いに行き、お返事をしたことを覚えています。
その後も、その友だちや他の友だち、幼稚園の先生にたくさんお手紙を書きました。封筒に入れて渡すこともありましたが、大体は便箋をハート型に折って渡していました。もらった手紙は、今はもう取っておらず、私がどのような内容を書いていたのかもよく覚えていないことが残念です。
小学生の頃からは記憶が鮮明になってきます。低学年の頃は、行事ごとに感想文を書くことが多かったです。
私は本を読むことが好きだったことが関係しているのか、文章を書くということにあまり抵抗がありませんでした。そのため、中には行事後の感想文を大変嫌がっていた友だちもいましたが、私にとってはそれほど苦ではありませんでした。
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小学校高学年に入ると、中学受験のため塾に通うようになりました。私の目指していた学校には「作文」という科目があり、そのために書く練習をたくさんしました。200字というとても短い字数制限の中で、問いに対する答えや理由、自分の体験などを書かなくてはいけないため、本当にたくさん書きました。
しかし、私は「作文」が得意だったため、たくさん書くことがそれほど苦ではなく、先生に添削してもらって書き直しをしてシールを集めるといったように楽しみながら書いていました。今思い返すと、家の勉強机に原稿用紙が置いてあり、まるで作家のようだったと思います。
作文以外の科目や過去問演習にも取り組み、私は第一志望の学校に合格することができました。中学受験に合格し、行きたかった学校に憧れだった制服を着て行くことができたのは、人生の転機だったと思います。それに文章を書くということが大きく関わっているのは素敵なことだと感じました。
中学に入ってからも文章を書くということはありました。私の学校は中高一貫校で、2年ごとに計3回、論文を書きました。
小学校のときと変わったのは、文章を原稿用紙にではなく、パソコンで書くようになったことです。そして、大学生になった今も同じようにこの文章をパソコンで書いています。
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つい先日、二十歳の集いがあり、それに合わせて手紙が届きました。差出人を見てみると「6さいの〇〇〇より」と、なんと昔の自分からでした。届いた封筒の絵柄は記憶にあったのですが、このように手紙を書いていたということは全く覚えておらず、ここ最近で一番驚いた出来事でした。
封筒を開け、中身を見てみると「〇〇ちゃんだいすきだったよ。」と友だちが大好きだったという内容がひらがなで過去形で書かれており、仲良しだった友だち複数人の名前が書かれていました。もっと他のことも書いてあるのかと少し期待していましたが、当時の私は友だちと遊ぶのが楽しかったのだろうなと想像することができました。
この手紙は、幼稚園で書いたものがずっと保管されており、私たちが成人になるのに合わせて送ってくれたものです。
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私にとって文章を書くことは、今までの人生で必要不可欠なものでした。文章を書くということが、中学受験という人生の転機と関係しているのは素敵なことです。それに、幼稚園生の頃に初めて文章を書くということに触れ、その当時の自分からお手紙をもらうことになるとは想像もしていませんでした。
文章を書くということを通して、私は人生が豊かになっていると思います。これからは、文章を書くことで、他人にも幸せを届けていきたいです。