私は「文章を書くということ」に苦手意識があります。この「文章を書くということ」についてのエッセイを書くのにも何を書いたらいいか分からず、母に、母にとっての「文章を書くということ」とは何か聞いてみました。
母は、「無意識的なことを、言葉を使って意識化すること」だと言いました。
その言葉の意味が正直私にはしっくりこなかったので、今まで私が経験してきた、文章を書かなければいけない状況を振り返ってみました。

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まず初めにぱっと思いついたのは、保育園の頃に書いた初恋の男の子へのラブレターです。
どこが好きだったのか覚えていませんが、とにかく他の女の子に取られないように毎日ラブレターを書いたり、隣の席に座ったりと猛アピールしていました。
このラブレターを書くという行為は、よく考えてみると、相手に好意的な態度を取るだけではなく、言葉で好意を伝えることで、私の存在を意識させる効果があるのではないかと感じました。

次に印象に残っているのは、小学校6年生の時に町田市の代表として選出された「人権問題」についての作文です。
私はオバマ元大統領のことを書きました。当時外遊びばかりしていた私は、人権問題含め勉強関係のことには一切興味がなく、人種差別に対しても可哀想というほんわりとした考えしか抱いていませんでした。
しかし、人権作文を書くという宿題のおかげで、奴隷解放宣言が出されても黒人差別は存在し、オバマ氏が大統領になるまで一度も黒人がアメリカのトップに立つことがなかったということを知るきっかけになりました。

そして一番新しい記憶では、中学校3年生の時に書き、学年主任の先生に選ばれた平和についての作文です。
これもまた一般的な感情しか抱いていませんでしたが、実際に原爆ドームに行って肌で感じたことを、ありきたりな言葉ではなく自分の言葉で書きました。多少汚い言葉を使いましたが、感じたことやこれからの自分の決意を思いっきり書けました。

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この印象に残っている3つの経験はどれも、心の中にもやっと抱いている感情や考えを言葉にすることで、自分自身の中ではっきりし、そのまとまった感情や考えはその後の自分の人生の中で、いつもどこか頭の片隅で意識し続けることになりました。
もう何年も前に書いたものであるのに内容まではっきり覚えているのは、言葉にすることで意識化された証拠だと思います。母の言う、文章を書くということは「無意識的なことを、言葉を使って意識化すること」という言葉の意味が少し理解できたように思えます。

また、文章を書いてそれを誰かが読んでくれた時、その人が共感し、もしかしたらその人のもやっとした考えをはっきりさせるきっかけになるかもしれないし、そんな文章と出会えた時、人はその後の人生できっとそれを意識し続けると思うので、文章を書くことが苦手でも、上手い文章が書けなくても、自分の言葉で文章を書くということをやり続けていきたいと思います。