以前に関係があった彼に、よく喧嘩の際に言われた言葉は「なんでそんなに冷たいんだ」だった。
会おうとしない、体に触らせようとしない、無関心な態度を取る……そういうことではない。
決まって彼がその言葉を言った後に出てくるのは以前の話だった。
「前はもっと頻繁に会いに来てくれた」「メールの返信を直ぐに返してくれなくなった」
どれも嘘ではない。
ただ、なぜ今はそうしてくれないのかと問われても、いつだって同じように対応できるわけではないよ、しか返せなかった。
その答えに彼が満足してくれることはなかった。不服そうに、「忙しいのは分かるけど、もう少し僕のことも考えてほしい」と言って終わることが多かった。
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当時は、なんでこんなことを言われなければならないのかと、全く理解ができなかった。喧嘩が勃発した時期は、わたしが大学生から社会人になったばかりで、大きな環境変化にわたし自身がついていけていなかったのは間違いない。
仕事が終わっても彼への気遣いをすることなくメールに返信せず、休日も自分の睡眠を優先していた。でも、それは社会人の先輩である彼なら、説明せずとも理解してくれるだろうと思っていた。
つまり、彼は現在のわたしと過去のわたしを比較した時に「冷たい」と判断していたわけだが、全てが終わった今振り返ると、謝りたい気持ちが出てくる。
それは、わたしが学生時代に彼を優先し過ぎていたことで、彼を困惑させてしまったからなのかもしれないと。この彼の疑問は、彼のわがままからではなく、至って自然な流れから生まれたものだったのではないかと。
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それに気がついたのは最近。とあるホールで映画を観た時だった。
その回は自由席で、観客は思い思いの席に着席して良いことになっていた。ホールに入って直ぐに気がついたことは、観客が圧倒的にスクリーンから一定の距離のある真ん中に集中して座っていることだった。
「それはそうだよね。スクリーンに近過ぎても見えづらいし、左右に寄り過ぎても偏るもんね」
そんなことを思いながら、わたしも比較的後ろの真ん中付近に着席した。
そんな観客の様子を後ろから眺めながら、上映に合わせて徐々に暗くなる室内で、脈略もなくふと彼のことを思い出した。
好きだから優先する、それはとても自然な愛情表現。コンサートでも、最前席が最もエキサイティング。でも、それでは優先できなくなった時に、「眺めが悪い」と思わせてしまう。
「前の方が特別だと感じられたのに」
そして演目が映画のような映像であれば、スクリーンに近ければ近いほど良いということにはならない。迫力はあるかもしれないが、細部まで気づかずに、勢い任せでストーリーは進んでしまう。そして「あれ?どういうこと?」とストーリーに完全に追いきれなくなった時には、何度も何度もそのシーンを巻き戻さなければならなくなる。
だから、本当に大切なのは縦ではなくて横のポジション。確かに細部まではよく見えないかもしれない。たまに薄暗くなるかも。それでも、いつだってわたしの心の真ん中はあなたの特別席、って伝えられれば良かった。
左過ぎても右過ぎても偏ったものが拡大されて、あるものは縮小されてしまう。だから、どんな時にでも全体を見渡せるそのセンターにこそ、あなたに居てほしいんだよ、と。
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学生だった頃、あなたを優先することにだけ重きを置いてごめんね。時間を戻せるのであれば、ちゃんとわたしの全体が見えるようにしたい。そして社会人になった時、あなたの中に生まれた純粋な疑問に真剣に向き合わなかったのは、わたしの未熟さゆえでした。
うんと大人になった今、ようやくあなたの気持ちに、そのままの大きさと重みで再会できました。
もう伝えることはできないけれど、やはりあなたとの出会いは、わたしの将来の幸せに繋がっていました。
ごめんね、でもそれ以上に、ありがとう。