足遅くてごめん!あっけらかんと言える私なら気が楽だったのに

人は誰しも、得意なこと苦手なことがある。
小さい頃は、その行動範囲や知識、親の監視下にあることなども影響して、うんと住む世界は狭い。どんなに周囲の大人から、人には得手不得手があるのよと寄り添われても、学校生活というものはそんなことを考える余白もなく、狭くて、競争社会で、評価されて、無慈悲にも過ぎていく。
私が学校生活を送る上での大問題は、いつでも「体育」だった。持久走とか忍耐力が必要なものはまあまあだったけど、足は遅いし、握力も弱い、水泳は息つぎができない、側転も逆上がりもできない、バスケットボールもドリブルやシュートがうまく打てない。
体育では、多くの場合目に見えてできる人とできない人がわかってしまう。遅い、できない自分が恥ずかしい。記録をとられて周囲と比べては落ち込む日々。自分の記録を更新できたという喜びを感じたい気持ちよりも、またビリか、とか、ビリから○番目か、とかばかりに気を取られた。その中でも1番の地獄は、チーム戦かリレー。
リレーの順番の話し合いなんか、50m走でいつもビリの方の私をどうカバーするかという話し合いにしか聞こえなくて、話し合いですら苦しかった。同じチームには申し訳ないと思っていた。大抵の場合リレーのお披露目場所は運動会。だから私は運動会が嫌いだった。練習も嫌だったけど。あっけらかんと、遅くてごめんね!フォローよろしく!と言えたら気が楽だけど、それが出来なかった私には、本当に地獄だった。
終わってみれば意外と楽しめたり、あっという間の運動会。それでもやっぱり、私にとっては嫌な行事。毎年、雨による中止や、自分の体調不良を願わずにはいられなかった。
思い返してみると、私は別に運動が嫌いなわけではない。学校に入って自分が運動がてんでダメだという現実を何度も何度も突きつけられるまでは、鬼ごっこ、かくれんぼ、縄跳び、ケイドロを休み時間に友人とやったり、水泳教室に通ってみたり、地域のバスケットボールクラブやダンスクラブに通っていたこともあった。体を動かすことは嫌いじゃないし、むしろ好きだったと思う。水泳教室は、あまりにも上達しなくって、段々と辛くなって辞めてしまった。バスケットボールとダンスクラブは別に嫌いじゃなかったし、それなりについていけていたと思うのだけど、諸事情があり、フェードアウトした。
そんな小学校で、ズタボロになったプライドのまま、中学校では卓球部に入部。入部後は、やっぱり運動部なだけあって体力的に辛いことも多かった。ただ、私と同じくあまり運動が得意ではない同期も多く何だか居心地が良かった。ちなみに卓球部って今ではだいぶイメージが良くなったけど、当時はまだまだ暗い、インキャというか、オタクみたいな、そういう子が入る部活という印象も強かった。でも実際は、しっかり基礎体力作りもするし、瞬発力や持続力とか、意外としっかり体力を消耗する。そんな中で、少しずつ卓球も上達し、私個人に関してはなんと、50m走が小学生の時より約1秒も早くなったのがとても嬉しかった。
高校、大学、と卓球は途中まで続けていたものの、やっぱり根底に運動が苦手という意識があるため、体を動かす系は避けられるものは避けてきた。だから、ずっとコンプレックスではあった。
ただ、大学生、社会人になって体育祭とかそういった運動に関するイベントがなくなっ て、自分の運動音痴が人に迷惑をかけることがなくなると、不思議と私の運動音痴は、会話におけるひとつの武器になった。相手が運動が苦手だというと、私も苦手で……と共感ができる。相手が運動が得意なら、私なんて○○もできなかったよと自分を下げることで相手をたてることができる。でもそれは、直接比較し合わなくていい環境にあるから出来ること。
日常的に他人と比較されて、時には迷惑をかけて、そんな日々は私にとって本当に苦しかったし、コンプレックスに違いなかった。でも今は、話のタネのひとつに(決してすごいことではないのだけど)とっつき易さ親しみ易さを感じてもらえるある種のアドバンテージにはなったのかなと思えるし、そう思えることが過去の自分の辛い出来事を昇華しているのかもしれない。
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