私の視界を広げたもの。
それは、「負けた経験」である。
私は中学校と高校の6年間、卓球部に所属していた。
卓球未経験の私が、他の部活の選択肢もある中で卓球部を選んだ理由は、部員が少なかったためレギュラーになりやすいという噂があったからだ。私の1つ上の学年にあたる先輩は、女子が3人しかいなかった。中学校の卓球大会は、団体戦に出場するために6名の参加が求められる。そのため、先輩を除く3名は、後輩である私たちの代の中から選ばれる。
私は小学生の頃、体操や水泳などを習い事としていたが、部活動に入って活かすことができるような環境は無かった。バスケットボールやバレーボールなどの選択肢もあったが、小さい頃から経験のある子達が想像以上に多く、入部しても置いてかれてしまうのではないかという不安があった。
そのため、経験者が少なく且つレギュラーを取りやすいと言われる卓球部に入部することにした。
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しかし、入部して私は驚愕した。入部人数は男子を合わせて100人以上に達していたのだ。私は、自分と同じような考えを持っている人が他にも多くいるかもしれないということを忘れていたのだ。結果的にレギュラーを勝ち取ることは非常に難しくなった。
しかし、入部する前から「何か頑張れることが欲しい」「部活で一番になって、活躍したい」という意思を強く持っていたため、それでも諦めることは無かった。
部活は遅刻せずに毎日欠かさず参加し、先輩に積極的に教わるように心掛けた。部活が休みの日は、自転車で15分程の所にある2時間100円で利用可能の卓球場で自主練を行った。
そして、大会に出場できる後輩を決める運命の部内戦の日を迎えた。しかし私は、理想通りの結果を得ることが出来なかった。休みの日も練習にあてていたにも拘わらず、順位は中の上だった。
私はこの部内戦を経て初めて、「努力は裏切ることもある」ということを知った。ひたすらに努力して、誰よりも物事に向き合っていれば、必ず結果はついてくるものだと勘違いしていた。私はこの時、非常に落ち込み、「自分は頑張っても上手くいかないのだ……」とマイナス思考になってしまった。
そんな時、同じ部員である友人が声をかけてくれた。「頑張っていたから気持ちはわかるけど、なんで負けちゃったのか一緒に考えよう」と、後ろ向きだった私を励ましてくれた。
私は寄り添う友人のおかげで、落ち込むだけの時間を止めることができた。
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「なぜ自分が負けてしまったのか」
多くの時間を練習に使ったのにも拘わらず、負けてしまった理由を考えて自分を見つめ直した際、練習の方法に問題があったと考えた。
得意である部分を伸ばすことは非常に良いことであるが、すべての場面でその部分を発揮できるわけではない。試合の中には様々な展開が存在する。自分の弱点を見せてしまったら、敵である対戦相手はその部分を狙ってくる。追い込まれている状況の中で、自分の得意な展開に持ち込むのは、卓球を始めたての初心者には難しい。
私は、負けてしまった理由を考えたことで、「どんな部分に問題があったのか」「これからどのように改善すべきか」について考えるきっかけになった。
「負ける」という言葉は、「悔しい」「残念」などのマイナス的な言葉を連想させる。確かに、負けるよりできれば勝ちたい。しかし、負けることを経験することで、自分を見つめ直し、「成長するにはどうすべきか」という将来像を明確にすることが出来た。
中学生の頃の私は、「負けること=良くない」というイメージを強く感じ過ぎていた。しかしこの経験を通して、負けることで次に繋げることができ、より良い自分を作り上げることが出来ることを学んだ。
これは卓球に限らない。何事も上手くいかないというだけで一喜一憂するのではなく、「この経験を通して、次に自分は何ができるのか」と視点を変えてみることで自分を成長させることが出来るのだ。
上記のような考えを持つことが出来たのは、中学生時代の私が試合に負けて悔しい経験をしたからである。よって、私の視界を広げたものは「負けた経験」である。