エッセイを書くまで、何となく分かっていたけど、目をつぶって見ないようにしていたこと…そんな自分をやっと目を開けて直視するようになったように思う。

なるべく自分の「考え」を言わないようにしてきた、自分の「やりたい希望」も言わないようにしてきた、そう、むしろ私に「考え」なんてなければ、「やりたい希望」ないんだ、「無」な人間なんだ、ずっとそう思おうとしていた。物心ついたことから、そうすることを強いられてきたし、そうせざるを得なかった。

しかしそのようにしてきた自分に無理が生じて崩壊し始めたのは中学生の頃、毎日体調が悪かった、息していることすらダルく感じた。以来ずっと体調が悪い。周りの人と同じように「普通」に通学すること、通勤することが何故できないのか分からなかった。

それに薄々気がついたのはつい最近。子供の頃から駄々をこねたり、欲しいものをねだったり、反抗期に周りに反抗してみたり、そんなことをしなかった自分の心身に無理が生じてしまっていて、中学時代からガタが来始めたのだと。しかしそのことすら、誰にも話すことなく心にしまい込んだちょっと前までの自分。

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エッセイを書くようになって、そんなことをひた隠しにしている自分に疑問を覚えるようになった。

気付くのは遅かったが、遅いは遅いなりでやれることはあるだろう。
全てとはいかないだろうが、自分の凝り固まった固定概念を外してみよう。エッセイを書くこともそうだったが、今までやったこともなかったことをやってみる。一人でおいしそうなものを食べにいってみたり、街を散歩してみたり。

きっと周りの人から比べたら、体調は良くない、ガッツリ普通に働いていないかもしれない。でも自分なりに頑張って働いてるのだから、頑張って生きているのだから、私は私のペースでよくない?それが私。そもそも「普通」って何なの?と暗示をかけてみる。
例え血を分けた親兄弟、家族であろうと価値観は違うことはある。だとすると社会には多様すぎる価値観があって、「普通」なんて概念は人によって違うわけで、それが人によって感覚が近いか、かけ離れているか…きっとそんなものでしかないことなのではないだろうかと感じるようになってきた。

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「考え」を表に出していくということは、正直慣れていなかった。してこんな風に自分の「弱み」のようなことを人に読んでもらえるような文章にすること、こんなことは今までしたことがなかった。だからこそ、気づきかけていたことに気づき、きちんと自分自身と向き合うことができるようになったと思う。

そして、もしも私のこの文章を読んで、同じような感覚の誰かに共感してもらえたら、これほど嬉しいことはない。もしかしたら社会の一端にいる誰かを少しだけ救えるかもしれない。

書き出すとスラスラと出てくる言葉、そうだ、私は「書くこと」が好きだったんだ、改めて気づく。私の過去は変わらないけど、「書くこと」により私のこれからはだいぶ変わったように思う。
エッセイを書く機会を与えてくださり、本当にありがとうございました。私はこれからも書いていきます!