私は画業を営む、フリーランスの画家だ。
今年で社会人6年目になる。美術モデルの仕事で少しずつ日銭を稼ぎながら、会社員時代の貯金を切り崩して暮らしている。安定しているとは言いがたいが、自分なりに地に足をつけて生きているつもりだ。

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美大を卒業した直後、絵が描ける環境に惹かれて、建築会社に就職した。けれど、実際に任されたのは施工管理の仕事。慣れない現場、向いていない業務、圧倒的な体力不足──毎日が苦しかった。

結果的に、3ヶ月で退職した。
その後は、しばらくニート生活。自宅でLINEスタンプを描いたり、ホームページを作ったりしながら、自分にできることを模索した。この間に、前職で看板の絵を描いた経験を活かして個人に看板を納品したりもした。

そして、美術館のスタッフとして再就職。周囲のメンバーには恵まれ、楽しく働くことができた。でも、やっぱり絵が描きたかった。
久々に筆を取ると止まらなくなってしまい、絵と仕事の両立を目指すも、徹夜続きで体を壊し、2年足らずで再び退職することになった。

そこからの3年間、週5勤務の仕事には一切就いていない。
実家暮らしだったこともあり、生活面ではなんとかやってこれたけれど、周囲の同級生たちが着実にキャリアを積み重ねていく姿を見るたび、胸がざわついた。

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仕事という共通言語が伝わらないことも多く、「会社に勤めていない自分」は、どこか劣っているのではないかという劣等感を抱えていたし、周りに恵まれている、自分は周りより劣っている、と謙遜ではなく事実として受け止めていたので、みんなのように私も仕事ができたらな。でも、みんなに恥じない友達でいられるよう頑張ろう!とも思っていた。会社を辞めた直後は、先が見えず毎晩泣いていた。

でも、美術モデルの仕事に出会い、再び社会とつながる感覚を少しずつ取り戻した。
今では、公募展に応募し、展示に出品し、ギャラリーに営業し、販売サイトや動画をつくるなど、画家としての活動に打ち込んでいる。
収入は不安定で、決して華やかなわけではないけれど、それでも日々は楽しい。

ただ、それと同時に、「もし自分にもっと体力や気力があれば…」と悔しく思う瞬間もある。私は昔から極端な思考の持ち主で、髪型一つとっても「切るならベリーショート、伸ばすならスーパーロング」タイプ。キャリアに関しても「納得できなければ辞める、続けるなら全力で」と、白か黒かで割り切りたい性格だ。そんな自分が好きだったし、同じような考え方の女性で、社会的に成功を収めている女性にも憧れた。

だけど現実には、気力も体力も中途半端で、どっちつかずになることが多かった。
そして最近ようやく、自分が「中途半端な自分自身」を一番許せていなかったのだ、と気づいた。

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自分ではずっと「多様な価値観を受け入れられる人間」だと思っていたけれど、実は真逆だったのかもしれない。白黒をはっきりさせたい性格ゆえに、「白と黒の間」で揺れる感情や立場を、想定することすらできていなかったのだ。

先日、大学卒業以来初めて遊んだ友人と仕事の話をした。
彼女は新卒で就職した会社に今も勤めていて、私はてっきり「バリキャリ」の代表のような人だと思っていた。だから、「仕事向いてるんだね」と純粋に言ったら、彼女は少し笑って言った。

「向いてるっていうか、辞める理由がまだ特にないだけかな。別に、猛烈に稼ぎたいわけでもないし」

その言葉に、ハッとした。

私はいつの間にか「会社を辞めなかった人=やる気があって、向いている人」と思い込んでいた。でも実際には、働きたくない気持ちが100%の人もいれば、50%、60%の人もいる。
その“割合”は、外から見てもわからない。

会社員時代の私は、毎日「働きたくないな」と思っていたけれど、それでも「自分が社会の一部である」感覚には、安心感があった。
今はすべてを自分で決めて、自分で責任を持つぶん、自由と不安が常に隣り合わせだ。
やりたいことが明確でそこにいる人もいれば、特に理由はないけれど居場所として働き続けている人もいる。その理由は人の数だけあってよい。

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私は美術を通して多様な価値観に触れてきたつもりだったけれど、気づけば「こうあるべき」「こうでなければならない」と、強い思い込みに縛られていたのだと思う。
今の私は、何者でもない“途中”の人間だ。

注目もされないし、評価もされない。だけどその無名さこそが、「もっと良くなりたい」と思える原動力になっている。
自分が“旅の途中”であることを、そろそろ許してもいいのかもしれない。
白でも黒でもない、そのあいだの曖昧な色のなかで、日々をつないでいる人たちへ。
私たちは、グレーの中で生きている。