人でも、趣味でも、何でもいい。私の人生を変える「何か」が欲しい
私が今一番欲しいものは、私の人生を変える何かだ。それは夢中になれて人生が色づいてカラフルになったり、私に新しい楽しい人生へと導いてくれる何かだ。
何かは人でも、趣味でも、アイドルでも、劇でも、音楽でも宗教でも本でも映画でも生き物でも植物でもなんでもいい。
私にとってそれは、井上陽水の「夢の中へ」での探し物だ。毎日、朝起きるたびに何かに出会えないかと私は期待し、夜眠る前に「ああ、今日も出会えなかった」と落胆する。
子供の頃は「何か」はいくつかあった。まず挙げるとするならば、いっちゃんだ。
いっちゃんは保育園の時から小学校低学年まで、私が崇拝していた友達だ。いっちゃんが私の人生に登場して、私はとてもワクワクしていて幸せだった。
いっちゃんは不思議な力があった。私は人にすぐキレる癖が幼い頃あったが、いっちゃんは不思議とキレそうになっても私の怒りを抑えることができたのだ。
思い返すと、いっちゃんが私にとって魅力的だったのはなぜか、はっきりと分からない。もう忘れてしまっているのかもしれないが、もしかしたらその力が関係しているのかもしれない。
学年が上がるにつれて、いっちゃんはずっと明るく社交的のままだったが、私は暗く内気になってしまい、だんだん疎遠になってしまった。
以前は「何か」だった絵や読書は、今はそうではなくなった
絵を描くことも、私にとってもう一つの「何か」だった。
保育園の頃から、私は絵を描くのが大好きだった。少女漫画みたいな絵を描くのも好きだったし、写実的な絵を描くのも好きだった。何がそんなに私を夢中にさせたのか分からないが、気づいたらいつも絵を描いていた。
絵を描いている時は、月並みな表現だが、時間が経つのを忘れていた。また、絵を描いている時は世界が輝いて見えた。そして、小学校では図工、中学校では美術の授業が私は楽しみでならなかった。
私は漫画家や画家やイラストレーターに憧れた。けれど、高校生になって美術の授業がある普通科を選んだにも関わらず、美術の授業が嫌いになった。
選択科目で美術を選んでいるだけあって、美術のクラスはみんな絵が上手く、私がクラスで一番下手だったのだ。
美術の先生からも私の絵の評価はあまりよくなかった。そして、今となっては絵を描くなんてめんどくさい、という心境になっている。
さらに読書も私にとっての「何か」だった。近くの席で話の輪に入れない時、私はよく本を読んで、その場をしのいでいた。
本の世界に入れば、私は内気で、しっかりもしておらず、部活の卓球も部活で一番下手な少女であること、いじめにあっていることも忘れられた。本の世界では私は勇敢な少年であり、苦難を乗り越える女であり、女に翻弄される男だった。
そして私を脅かす恐ろしい現実から読書は救ってくれた。読書がなかったら私は学校に行けなくなっていたかもしれない。
そんな読書だったが、高校生になって勉強の鬼になって読書をしなくなってからは、前ほどの熱量は持てなくなってしまった。
「何か」は勝手にやってくるものだとしても、それを探し続けたい
過去持っていた「何か」は、すべてどこかへ消えてしまった。
私は本を読んでみたり、知人から誘われた地元の詩人についての講演に行ってみたり、母に誘われた有名なピアニストのコンサートに行ってみたり、雑誌に載っていた知らないバンドの曲を聞いてみたりした。「何か」に出会うために。
けれど、少しはいいと思えていても、私はまだ出会えていないと思うのだ。
もしかしたら私の期待値が大きすぎるのかもしれない。しかし、強欲な私は、これではまだまだだ、なぜ出会えないのだと地団太を踏みたくなる。
父に「何かに出会えない」と言ったら、父は「そういうのは探すんじゃなくて、勝手にやってくるもんなんだよ」と言っていた。井上陽水の「夢の中へ」でも同じようなことが歌われている。
そうなのかもしれない。でも私は待ちきれない。私はこのまま「何か」が欠けた気持ちのまま生きていくのはなんだか空しいと思う。
私はこれからも、私の心の隙間を埋める「何か」を待ったり、探したりするつもりだ。それが私にとっての今の人生の目的な気がする。