私は変わらなくていい。そう思えたのはついこの間、20代も半ばに入ったこのごろだ。

私はずっと、変わらなきゃいけない、変わりたいと思ってきた。
最初に変わりたいとはっきり思ったのは10歳の頃。人前に出ると赤面して震えて、はっきり話せない自分が恥ずかしかった。だから人前に出る役割を担って担って、何度も失敗して、そうしてすこしずつ図太くなっていった。

思春期に入ってからはもっと変わりたいと思った。
自分の贅肉がついた顎や腹、脚が、腫れぼったい一重が、まんまるい鼻が、嫌で仕方なかった。うつくしい同級生に、アイドルに憧れた。変わりたくて無理なダイエットもした。でも結局、私は今もまだ「健康な体型」のままだ。

大学時代は変わることが、成長することが快感だった。
難しい授業を取り、課題の多いゼミに入った。インターン生として社会に片足を突っ込んで、社会人と肩を並べるようにして働いた。自分にできることが増えていくのが、変わっていくのが楽しかった。

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そうして今。社会人の私は「変わらない」をすこしずつ選ぶようになってきた。頑張って無理して、心身を壊してしまったからだ。

社会人になってからの私は、職場に、同僚に、社内の価値観に、なんとか私自身を合わせようとしてきた。ほんとうは会社に入って数カ月で、この環境が私に合わないってわかってた。それでも今まで働いてきたのは、会社に居続けたのは、石の上にも三年という社会通念に、安定した大きな会社で長く働けという親の価値観に押しとどめられたから。仕事なんだから我慢しなきゃ、なんでも頑張らなきゃと自分で思い込もうとしたから。違う場所に移っても結局変わらない可能性に怯えたから。

けれどその結果が、ベッドから起き上がれなくなった私、涙が止まらなくなった私だった。

ほんとうは合わせなくてよかったんだろう。
私は私のまま、輪郭を守ったまま、合わない環境と距離を取ってよかった。私は私のままでうつくしいのだ。変わらない私のまま、この世に存在していい。
こんなに真面目で頑張り屋で責任感があって、高いコミュ力も愛嬌もある私が、変わる必要なんてどこにもない。こういう私を潰した職場環境が、「社会」が悪いのだ。
そう思ったらフッと楽になった。

現実問題、社会を変えるなんてことは途方もない時間と労力がかかる。コスパがあまりにも悪いのだ。だからみんなそこまで頑張らないし、頑張れない。自分の手が届く範囲でだけ、自分が生きやすいように整えるので精一杯だ。

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子供のころは、私が社会を変える、困っている人を救うんだなんてヒーローぶったことを考えていた。ニュースを見て正義感に燃えていた。死ぬまでに、私が生まれる前よりマシな世の中にしたいーーそんな浮ついたセリフを吐いたこともあった。

けれど現実は、社会人の私は自分を守るのだけで精一杯で、何なら守ることすらおぼつかない。そこらじゅうに転がっている他人の問題まで抱えこむ余裕は微塵もなかった。

だからその代わり、ニュースになったり誰かを救ったりするような大きなことをする代わりに、私は私のまま生きることで、私をまるごと守り抜くことで、社会に反抗しようと思う。
正直、生きやすいとは言えない世の中だ。給料は上がらず、対して家賃や食費はどんどん高くなっていく。海外どころか国内旅行に行くのもおぼつかない。未だに恋人、結婚、子供の有無でその人の価値を測るような、おぞましい空気も漂っている。

そういう社会でも、私は私のまま、私を変えずに生きていくことで、私は狼煙をあげるのだ。誰にわかってもらえなくたって関係ない。私がありのままの私を愛してる、それだけで十分だ。

社会なんてくそくらえ。私はいまのままでうつくしい。