「美術館に絵を見に行くことが好きです」というと、勝手に高尚なイメージを持たれるのかもしれない。けれど私の美術鑑賞は、至って自己流で気楽なものだ。たまにテレビの美術番組を見ることもあるが、私自身は美術にさっぱり詳しくないし絵心もない。美術館の作品を見て、題材をどのように感じ、描き方のどんな点に目を惹かれるのか、漠然と考えるだけ。自分が凡人である自覚があるから、芸術分野で傑出した人に心奪われるのかもしれない。

美術の知識のない私であっても、魅了される美術作品はたくさんある。たとえば、あるときは極彩色に彩られた歓びに。あるときは光と影のドラマチックな構図に。またあるときは柔らかな輪郭線から浮かび上がってくる、人物の透徹した輝きに。

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ひとつ、思い出深い美術館がある。その美術館が位置する汐留には日本を代表する大企業が多く立ち並び、就活時代の思い出が詰まっている。インターンに行けたが、本選考で落ちた企業。友達が内定した大企業。そして私が最終面接で受けた企業。

前回その美術館に行ったのは、汐留の企業の最終面接の帰りだった。最終面接の会議室は、超高層のガラス張りで大都心を一望できた。その眺めは、その企業の資本力と、私が最終面接に至るまで積み上げてきたものの高さを思い起こさせた。正直なところ、その企業は私にとって第三志望くらいで、本命の第一志望の企業の最終面接はその2、3日前に終えていた。一番の本命企業の結果を心の中で気にしながら、必死にその企業の最終面接に答えていた。

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なんとか面接を終えてビルを出ると、気が抜けてホッとした。二つの企業どちらかの内定通知が鳴らないかスマホを気にしながらも、頑張った自分へのご褒美も兼ねてすぐ近くの美術館を訪ねた。19〜20世紀のフランスの画家、ジョルジュ・ルオーの絵画展を開催していた。

厚塗りの絵の具や、ステンドグラスに影響を受けたとされる太い輪郭線が画風の大きな特徴で、キリスト教に関わるモチーフも多い。塗り重ねられた絵の具の分厚い筆致に、ぽってりとした独特の柔らかさと温かみを感じる。私自身は特に信仰を持っていないが、その題材に神聖な気持ちにもなった。

ルオーの絵は、就活の結果に揺れる不安や、様々な企業に「御社が第一志望です」と嘘をつき続ける罪悪感を癒してくれた。志望度のかなり高い企業の最終面接を立て続けに受け、人生の岐路に立っている切迫した心持ちを、一時でも忘れさせてくれた。

特に気に入ったのは、ルオーの「クマエの巫女」。神託を受けた巫女が、目を閉じ柔らかな表情で右側を指差し、キリストの到来を告げているとされている。私が一番巫女に聞きたい「お告げ」は、自分が第一志望に受かるかどうかだった。けれどその静謐な横顔を見ていたら、不安がだんだんと落ち着いてきた。受かっても落ちても、この絵の指先に指し示されたものを信じよう。そう決めて帰った後、自宅で私は第一志望の内定通知を受けた。

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あれからもうすぐ一年。私は社会人2年目となる。内定を受けたときは天にも昇る心地だったのに、会社に入ると自分の仕事のできなさや、優秀な同期たちとの比較、会社の経営方針への反発などなど、私は内定のありがたみも忘れて、日々また劣等感や不安と闘っている。

最近、別の画家の特別展目当てで、一年近くぶりにあの汐留の美術館を訪ねた。特別展も素晴らしかったが、思いがけず常設展であのルオーの「クマエの巫女」に再会した。巫女はまた新しく悩みを抱えた私に、あの時と同じく静かに一点を指し示していた。清らかな面持ちで何かを、信じなさいと諭すように。私の心はだんだんと凪いでいった。

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美術畑の人に叱られるかもしれないけれど、私は絵を見るというよりも、「その絵を見た時の自分の心」に会いたくて、絵が好きなのかもしれない。そして、迷っていても私が今いる場所が、きっと正しいはずだとあの巫女の絵で思える。自分が人生で決めた選択も、しなかった選択も入り乱れるあの街で、私はまたあの絵に会いたい。