いじめが原因でアイコンタクトができなくなった私が社会に起こした変化

2023年3月、私はまだ書きたいという思いを残したまま「かがみすと」を卒業した。思い起こせば中学、高校の部活動、大学のサークルなど、これまで沢山の課外活動を経験してきたが、思い入れがなかったり、逆に充分活動できたという想いがあったりで、それほど引退に惜しいとか悲しいとかいう感情が伴った経験は無かった。かがみすととしての活動は部活動のような感覚で、周囲の作者から知らない言葉や文章表現を学んだり、私自身が他の作者から評価を戴く機会があった。
画面越しで観る甲子園球児がそうであるように、私たちかがみすとは切磋琢磨する存在だった。そんな私は昨年、かがみすとを卒業してから初めて社会を変える活動をし、高い評価を戴くことができた。卒業生として、その活動を紹介していきたいと思う。
私は、小、中学生時代の9年間、いじめに遭っていた。同級生からは「キモい」と容姿を非難され、私の触った物は汚いと言われていた。給食当番時に給食を運ぶと待っていたのは「ありがとう」の感謝の言葉ではなく、不快な表情だった。
次第に私自身も自分を拙い者だと認識し、人の目を見て話すことができなくなってしまった。自分の容姿や表情を相手の視界に入れることで、相手を不快な気持ちにさせてしまうと思ったからだ。そんな私は教育に関心を持ち、母校に教育実習に行った。だが、やはり人の目を見て話すことができず、教師や生徒とコミュニケーションを取る際はいつも下を向いていた。実習最終日、担当教員は私に「教師になる気ないんだよね?」と、仰った。
教員によると、人の目を見て話すことは社会人として当たり前のことだという。私はこの学校でいじめに遭い、アイコンタクトができなくなったのに、教師という本来生徒を守るべき立場にある人が、そうした人々の存在を認知していなかったのだ。
これを機に、いじめ後遺症に関する勉強を始めた。すると、私のように普通の生活を送れているケースはまだ良い方で、学校に行くという教育を受ける権利を奪われ、そのまま引きこもってしまった方が少なくないことを知った。私はそうした人々が孤立することがないようオンラインでの交流会を開催し、当事者が悩みを共有できる場を作った。同時に手記を執筆し、お配りすることで沢山の感謝の言葉を戴いた。この活動を通して知ったことは、周囲の人たちによって日常生活が制限されてしまった状況が生きづらさであることに気付かず、「自分が悪いからだ」と自己否定をしながら生きている人が少なくないということだ。
こうした方々を目の前にし、行動しなくてはいけないという使命をより強く持った。そこでスピーチコンテストに出場し、当事者に支援が当たっていない現状を訴え、四捨五入して500人もの参加者の中から次点になることができた。私は被害当事者として、被害者が抱えている言語化しづらい生きづらさをともに感じることができる。これは、私の中に眠っていた弱さから生まれた強さによるものだ。これまで何かと自分のためだけに動いていた私だったが、人のために行動し感謝の言葉を戴いた経験は、これまでの人生にない大きな財産になった。また、可視化されない生きづらさを感じている人のために行動を起こすことがこれほど大きな評価に繋がったことは、今後活動を続ける上で大きな自信となった。これからもこうした人々のために活動を続けていきたいと思う。
持てるものは少なくとも、とりわけ素晴らしい才能に恵まれていなくとも、人のために活動したいという気持ちさえあれば、いずれその願いは叶うのではないかと思いながら現在もこの活動を続けている。「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトとしたメディアに出会って5年、私は全国誌に掲載され、いじめ後遺症の認知を高めることに成功した。これまで無名だった私がかがみよかがみに出会い、社会を変えた。そんなエピソードがここで出会うことができた人々のための第一歩となれば幸いだ。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。