私のたくらみ、それは本を出版し経験を語ることで有名になること、出版経験を経て違うジャンルの本も出版すること、これらの経験を活かして情報発信力を強化し、支援を必要としている人に手をさしのべることである。

私はこれまでも書いてきたように、小中学校の9年間いじめに遭い、人間不信に陥った。
それからしばらくの間はそれを恥ずかしい経験だと思い込み、厳重に事を隠してきた。周囲にはその経験を語る人もいるというのに、私はその後遺症からか、ここぞという時に貴重な語りを提供できないまましまい込んできた。

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事を思い直したのは2016年、教職課程の一環として教育心理学の講義を受けてからのことだった。
この講義は前半が乳児の発達、後半が小中高校生のいじめや家庭内で起こる虐待についてであり、担当する先生も前者と後者で異なっていた。私はとりわけ後者の講義に関心を持ち、講義終了後は先生を30分近くも引き留めて沢山質問をした。

これまで教育社会学には関心があったが、心理学にはほとんど触れてこなかった私にとって、心理的要因と社会的要因が複合するいじめ問題は興味深いものだった。そして、私自身がサバイバーだったこともあり、共感できる部分も少なからずあった。
加害者は、私を孤立させることによって唯一の関係となり、支配していく。これは、私がいじめられる原因を作った生徒の手口そのものだった。

そして、日本のいじめの特徴は学年が上がるにつれて被害者をかばう人が少なくなり、たとえそれがひどいものであっても黙認する姿勢が採られる。日本人は謙虚な人が多く、悪いことを悪いという事が少ないゆえに被害者が孤立しやすい。そして、被害者は誰も助けてくれないという現実に絶望するしかないのである。
また、被害者が被った損害が大きくても、いじめられているのが当たり前、つまりいじめが「透明化」してしまうと誰もそこに問題意識を持たなくなるというのである。
当時みな、私がいじめられていることについて問題視する人はおらず、正に自分がたどってきた道そのものだった。

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一方、私が受けていたことは誰の目から見ても深刻なもののようで、
「私があなたの立場だったら自殺してた」
という発言を繰り返す生徒もいた。そうまではいかなくとも、私が受けていたいじめは誰から見ても耐えられないものだったという。
では、私が生きる希望を捨てなかったのはなぜか。それは、単純だが夢と未来があるからであった。
当時はまだ漠然としていたが、私は自分にしかできない社会貢献の手法を構築したいと思っていた。だから、こんなところで命を無駄にするなど1ミリも考えてはいなかった。

これは独学で知った話だが、日本のいじめは海外とは異なり、裕福な家庭の優秀な生徒ほど対象になりやすいのだという。それに対して「女子は余計にそうだろう」という声が多数上がったが、私もそうだと思っている。私は授業で習うプラスαの部分まで認知していることが多々あり、奇異な目で見られることも多かった。

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そして現在、43000字の自著『いじめ後遺症』を書き終え、被害者遺族を中心とした人に読んで頂いている所であるが、その大半の方々から心を動かされた、涙なしには読めなかった、と伺っている。私は小中学生時代には見えなかった場所で、才能を開花させることができた。

そして社会貢献意識を高く持って活動している現在、出会う人一人一人がまた素晴らしい方々なのだ。高等教育機関で、今の職場で、そして現在も行っている社会貢献活動で出会えた人と私は良い信頼関係を構築して、人のため、社会のために活動している。
私は醜いアヒルの子だったのだ。
残念ながら、世の中には自分が醜いアヒルの子であることに気づかぬまま、人生を閉ざしてしまっている人が多数いる。そういった人々や今なおいじめに苦しんでいる人々のために、私はたくらみとも言えるかもしれない計画を持って行動しているところである。