あれは2018年2月23日のことだった。
この日は所属する社会学研究室で食事会が開かれ、私もその会に参加していた。会場は料理の美味しい個人店で、ランチの後にデザートのドリンクを頼んでお開きにする。そんな素敵な会だった。
周囲がコーヒーや紅茶を頼む中、私は一人、お子様らしくリンゴジュースを注文した。2時間ほどだっただろうか、皆で穏やかな時を過ごしていた。

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注がれたドリンクを飲み終わり、そろそろお開きにしようとしていたその頃、私はその場で倒れ、意識を失った。気付いた時には激しい頭痛で身体が動かず、救急車に乗せられようとしていた。これまでの経験から、てんかんの発作を起こしたことが分かった。
私は発達障害の一つである自閉症スペクトラム障害に加えて、てんかんを患っている。こちらは普段は潜んでいる方の病だ。
発作後に起こる頭痛は言葉には表現できないほど辛く、目を開けることもままならない。救急車には付き添いで先輩が付いてきて下さったが、ずっと寝てしまうのは先輩の研究時間を奪ってしまうようで後ろめたく、目を開けて一礼した。運ばれた病院ではずっと寝ていたかったが黙ってそうするのも申し訳なく、先輩の前では気丈に振る舞っていた。

てんかんは発作の起こった直後は大変だが、それ以外は薬の服薬さえすれば一部の難治性のものを除いて普通の生活を送ることができる。その日も半日ほど経った後は普段通りの生活に戻り、2日後には研究室に復帰することができた。
みなの前で大胆に発作を起こしてしまった恥ずかしさと、賑やかな雰囲気を壊してしまった申し訳なさとでどう振る舞えばよいのか分からなかったが、みな私のことを心配して下さっていた。
この時、ふと思った。
冬場は雪で自転車に乗れず、その日も私は食事会の会場まで歩いて行った。もし発作を起こしたのが数時間前だったら、急に吹雪がやってきたら……私の命は今ここになかったかもしれない。
そもそも両親は私の体調を考え、実家を離れることに反対していた。それでも頑なに自分の意見を押し通し、勝ち取った進路だったが、私一人の体調を多くの人が心配して下さっていることに気づいた。当の私は今まで自分のことばかり考えて行動してきたというのに、多くの方々に支えられながら生きてきたことを実感した。

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このことは、私自身の性格を変えてくれるきっかけともなった。
改めて病気について調べると、私のタイプはまだ軽いようで、より多い量の服薬が求められる人もいる。また、難治性のものでは服薬でのコントロールが困難であり、1ヶ月に何度も倒れる人もいるという。
ついでに他の精神疾患を調べると、定時出勤の難しい人や希死念慮を抱いている人、いつ鬱状態に陥るか分からず日常生活に支障を来している人等がいることが分かった。
私自身、他人に助けてもらったことで今ここに生きている。ならば、より支援を必要としている人に手を差し伸べよう。そう思えるようになった。
実際に私の周りには真面目な人が多く病みやすい体質の人が多いが、SNSで少しでもそうした傾向が見られた場合は状況を悪化させないよう、すぐさま連絡を入れるようにしている。中には最悪な選択をする寸前だった後輩もおり、
「好きなことをしていても寝ていてもよいから、とにかく1週間後にまた話す約束をしてほしい」
とだけ言い、実際に命を救った経験をした。その後輩は現在彼女と幸せに暮らしているが、そうした近況を聞ける度にとても嬉しく思っている。

こうした経験を積み重ねることによって当人の置かれている状況を理解し、次のノウハウに繋げることができる。また、支援を必要としているものの対象とならずに社会的生活を送る上で困難を抱える人々について日々勉強しており、それなりの知識を有している。
現在はいじめや虐待、パワハラ等の後遺症によって社会的参加が困難となった方々に対するコミュニティ作りやインタビュー調査を行い、情報発信するボランティア活動を行っている。12月の賞与で買った物と言えばICレコーダーで、まさに私の性格を象徴しているように思った。

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この社会に障害を持つ者が一定の割合で生まれるのなら、たとえそれが重複するものであっても私自身でよかったと思っている。
自身が当事者であることでその分、障害を持たずに普通に暮らせる人がおり、支援を必要としている人と同じ立場で物事を考えることができる。また、SOSのサインを見逃さずに読み取ることもできる。
今回が初めてのことではなかったが、これは、寒かったあの日に命を救われた経験をしたからこそ生まれた考えだったと思う。