母のような「明るい人」になりたくて、わたしはわたしを苦しめた

これまでずっと、「憧れ」に自分を近づけようとし続けてきた。でも、それをもうやめようと思う。
今わたしは、適応障害で休職していて、復職の日が近づいてきている。あと2か月は、これからの資金づくりのために、今の職場になんとかしがみつくつもりだ。でもその後は、まだわからない。
休職して、時間ができた。自分のことや、なぜここまで疲れてしまったのかを考えることも増えた。そんなとき気づいてしまったのだ。わたしが、憧ればかり目指して挑戦してきたこと。それは大抵、苦手の克服だった。
適応障害になった理由は、いろいろな無理をしてしまったからだと思う。疲労が積み重なったある日、上司から「もっと利用者に話しかける時間をとってほしい」と指導を受けた。そのときわたしは、「負担だ」「いやだ」と思ってしまったのだ。
人と話す仕事がしたかったはずなのに。楽しいと思っていたはずなのに。話しかけることはわたしにとって気を張ることで、自分が会話の中でおかしなことを言ってしまっていないか反芻することは不安でいっぱいになることで。「話す」ということが重要な今の仕事はわたしにとって、できるけどひどく疲れてしまう、向いているものではないと気づいてしまった。
わたしは、楽しく話せる人に憧れていた。その憧れの根本は、母だと思う。母がいるおかげで家族の会話がはずむような、楽しい人だ。小さい頃から母が大好きだった。わたしも母のようになりたかった。
それに、友達がたくさんいること、明るい人間であることが好ましいと、小さい頃から刷り込まれているように思う。それが教育の影響なのか、エンタメの影響なのかはわからないけれど。
だから仕事も、直接相手と向き合い笑顔にできるようなものを選ぼうと思った。そのために、大学時代に話し方の教室に通った。できない自分が悔しくて、泣きながら受講した日もあった。意識高く数週間の語学研修に参加したりもした。周りのテンションについていけていないことには気づいていた。
わたしは自分のことを、「努力家」だと自負していた。周りの人からもそう言ってもらえた。「努力家」はわたしのアイデンティティだった。
今振り返ると、わたしの「努力」は空回っていたのかもしれない。もちろん得たものもあった。素敵な人にも出会えた。挑戦してきたおかげで、「できない」から「できるけど疲れる」にまでなんとか持ち上げられたのだろう。でも、憧れに近づけるように、自分自身に鞭を打ちながら、苦手なことにばかり取り組んできた。
でも、わたしは本当は。一人の時間が好きだ。家族や友人と過ごすのも好きだけれど、定期的に一人の時間がないと耐えられない。自分の望みを自分で叶えてあげるための時間なのだ。じっくり考えるのが好きだ。自分のことを分析していくと、愛おしく思えてくる。メッセージを送るとき、相手に伝えたいぴったりの表現を見つけると、相手のことがもっと大切になる。
表現をするのが好きだ。絵を描いたり、文章を書いたり、ものをつくったり、イメージしたものが形になったときのわくわく感がたまらない。
わたしには、大切にしたい「わたしの要素」がたくさんある。これからは、もう無理はしない。憧れの姿になるためにわたしを苦しめなくていい。明るい人になるのは諦めていい。
わたしにとっての社会、つまり「生きる環境」を変えたい。どこでならわたしが明日を怖がらずに日々を過ごせるか、どうすればわたし自身をもっとのびのびさせてあげられるか。今はまだわからないけれど、時間がかかってもいいから探していこうと思う。
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