「ちゃんと貯金しなさい。何かやりたいことが見つかったときに、お金がなくて諦めることがないように」
大学を卒業するとき、母から言われた言葉で妙に印象に残っていた。

母からの金言を胸に、コツコツ貯金。なのに突然病気になった

わたしの家は両親ともに教員をやっていて、兄と家族4人で毎年海外旅行に行けるくらい裕福な家だった。
兄と私は幼いころからたくさんの習い事をさせてもらって、2人を県外の大学に進学させ、1人暮らし×2人の諸費用を払ってもらい、バイトしなくても十分な生活が送れるくらいのお小遣いをもらうというのがいかに凄いことか。奨学金の話や生活費を切り詰める同級生のようすで初めて知った。
社会人になったいま、その凄さを実感している。お金に困ったことがないという、ありがたい環境で育ったのだ。

そんな母からの金言が、冒頭の言葉だ。社会人になったら一切の仕送りはなし、というのが我が家のルールだった。
私は母の言葉をしっかり胸に刻み、コツコツと貯金をしていた。会社から遠くの家賃の安いアパートに住み、衝動買いなどは一切せず、年に1回の自分へのプレゼントと旅行を楽しみにつつましく生きていた(仕事が忙しくて、休みのうち1日は泥のように眠り、もう1日は家事をして終わっていた、というのも功を奏したと思う)。社会人3年目には貯金額は500万円を超えるほどの順調さだった。

20代後半になり、仕事にも慣れてきたころ、いつかするかもしれない結婚や家の購入、または生涯独身でも楽しい暮らしができるよう、着々と蓄えていた日々だった。
それがある日突然終わった。病気になったのだ。しかも、適応障害という終わりの見えない心の病に。
当然働けなくなり、貯金ができなくなることに加え、貯金を切り崩して暮らすことになった。骨折のように骨がくっつけば完治というわけにはいかないのが適応障害で、復職には慎重な判断が必要かつ、復職してからも無理をするとすぐ調子を崩す。現に私は3か月半休職したのち復職したものの、たった3か月で再発した。

人生を彩るための貯金だったのに…健康には金が掛かる

あえて言うが、私は決して病気のために貯金していたのではない。自分の人生の可能性を狭めないように、ちょっと人生が彩ることができるように貯金をしていたのだ。
勉強や海外留学、気分があがるアクセサリー、ブランドバッグ、おしゃれな海外旅行、快適な家……ほんの少しは「病気になっても大丈夫なように」と思っていたが、それはもっともっと先の話だと考えていた。健康ランドでおばさまたちが話している「健康には金が掛かる」の実情をこの年齢で知りたくはなかった。

病気は、マジで、金が掛かるのだ。
毎週の通院費が月1万円、隔週のカウンセリングで月1万円、薬代が月5000円。月25000円もあれば、可愛い服も化粧品も買えるし、1泊の温泉旅行だって行けるし、舞台の観劇だってS席で2回はできる。
月25000円の出費が、もう8ヶ月も続いている。軽く見積もっても20万円。なのに、有給や休職での収入は心許ないのだから、自分に苛立つし、不安ばかり抱く。
なんでこうなったんだ、どうして適応障害などになったのだ。

病気といっても「悪性腫瘍が見つかったけど、取り除けばオッケー」みたいなほうが、幾分マシなんじゃないかとすら思った。だって終わりが見えるから。
心の傷なんて実態のないふわふわしたものがいつ治るのか、私にも医者にもわからない病気になんでなったのだ。医者には「完治っていうのはなかなか難しいからね」と言われている。くそっ。

八つ当たりする先すらない。それでも貯蓄していた自分を褒めたい

自分自身、働けない自分に嫌気がさすし、なんて弱い人間なのだろうか……なんて病気が治らなさそうな考えばかり浮かぶ。
こんなの誰に何の文句を言えばいいのか、八つ当たりする先すらないのだ。強いて言えばコロナウイルスだろうか。

いろいろあったが、振り返ってみると、ここまでちゃんと貯蓄していた自分は褒めたいと思う。貯金がなかったら、給料ほしさで休職できず、もっと無理を重ねていたかもしれない。
貯金は切り崩しているものの、急に路頭に迷うということはないのは、なんとありがたいものか。母が言っていた言葉を前向きにとらえるなら、「長期の休み」というのが、お金で手に入れたものなのかもしれない。