私はあまり“専業主婦”という言葉が好きではない。現に私は、子供を産んでからずっと専業主婦。だからその言葉に敏感なのかもしれない。けれど今の時代、専業主婦はマイナスなイメージとしてとらわれている。実際に私はこんな言葉を何度も浴びてきた。

「仕事してないと暇じゃない?家で何してるの?」
「家にいるだけじゃ、お金がうまれないしね」
「毎日頑張ってるよね、主婦を!」

今は共働きが主流で、専業主婦は少数派。だから仕事をしてお金を稼げる人が偉く、お金を稼げない人は身分が下。お金を稼げない専業主婦は無能とののしられているようで、ずっと劣等感を感じていた。 “専業主婦=仕事をしていない=暇”が今の時代にイメージとして根付き、いつも私の心にグサッとつき刺さっていた。

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確かに私は、現状仕事をしていない。だからって、やりたい事がないわけではない。やりたい事がすぐには実現しないからだ。私のやりたい事は、自分の作品を世に出すこと、それが夢。自分が描いた絵本だったり、文を綴った童話だったり、イラストだったりと想いは様々。今でも時間を見つけては、コンクールに作品を応募し続けているが、そう簡単に夢は叶わない。

以前その話を友人に話した時に、「絶対に無理でしょ。そんなの才能のある人だけ!」と、まっこうから否定された。進路や就職を決める際にも、親からも猛反対された。それ以来、自分のやりたい事をまわりに話すことは一切やめた。誰にも理解されず、否定されるのが嫌だったから、心の奥底へとしまいこんだのだ。それでもやっぱり諦めきれなくて、今でもその挑戦はひっそりと続けている。

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そんな私も子供が幼稚園に通うようになった頃、一時は世間の目が気になり仕事についたこともあった。でも全く上手くはいかなかった。私は不器用な性格で、何もかもが中途半端になった。家事も育児も、仕事も全てが思い通りにいかず不完全燃焼。案の定、そんな自分にイライラして、フラストレーションばかり募り結局仕事を辞めてしまった。

それからは、誰に何と言われても“とりあえずの仕事”にはつかず、家事と子育てを満喫した。実際に子育ては楽しかった。子育てを通して子供と過ごせる時間は貴重だと感じた。子供の成長は速く、一瞬一瞬が見逃せない。いつしか子供達に美味しいもの、栄養価の高い物を食べさせたいと、食育の資格を取得した。自分が伝えられること、教えられることはドンドン子供達に注いだ。そんな気持ちがグングン強くなり、自分の中で、仕事よりも子供達という優先順位が確立されていった。

そう自分なりの軸を心に決めても、度々「仕事してないの?専業主婦なんだ」という言葉を浴びせられると、やっぱり心がざわつき、揺らいだ。

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そんな悶々とした想いを何度も繰り返す中、一つのドラマが私を大きく味方した。主人公が専業主婦である「対岸の家事」というドラマだ。まさしく専業主婦のあるあるな心の迷い、不安、葛藤を代弁したような内容に共感した。現代の専業主婦のイメージをリアルに描き、ドラマの中で「専業主婦は化石」とまで表現されていた。ただ子供と過ごす時間を大切にしたいだけなのに、どうして専業主婦はそんなに否定され、軽視されるのだろうと改めて考えた。誰かに迷惑をかけていないのに、どうして無関係な赤の他人から非難されなければならないのか。なぜこんなに肩身が狭い想いをしないといけないのだろうかと、疑問ばかりが湧き上がった。

そしてやっぱり私は思うのだ。“専業主婦”という言葉があまり好きではないと。

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言葉のイメージは案外大きいように思える。4つの漢字がカタカナ、英語になったらイメージはもっと明るく、軽く、ポジティブなものに変わるのではないかと考える。時代がこれだけ移り変わり、生活が便利になり、考え方、価値観も変化している中、言葉の新たな表現、変換、言い回し、言葉自体の生まれ変わりがあっても良い気がする。社会の目線が大多数だけではなく、少数派にも注目して欲しいと心底願っている。