「社会を変える」という言葉って、なかなか大それたものだ。耳にした第一印象は「あ、それ、私には無理」だ。経営者とか、政治家とか、自分とは関係ない人たちの話だな、と思い、そっとスマホの左下の矢印を押した。

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それっきり。のはずだった。しかし、「社会を変える」という言葉は、私の中の深いところに種を残してくれていた。その種は、静かに芽を出し、少しずつ成長していった。本当に私とは関係ない話なのか。いや、普通にやっぱり関係ないでしょ。静かな自問自答が始まっては、すぐに終わる。

やがて、芽はつるを伸ばし始め、「社会とは?」という疑問が生まれた。社会って、日本や世界全体のことだと思っていたけど、身近なコミュニティだって、立派な社会ではないか。

あれ?社会って案外身近なものかもしれない。そうなると、私も社会を変えることができるかもしれない。もしかしたら、もう変えてしまっていることだってあるのではないか。「社会」という定義が自分の中で小さく、身近になることによって、がらっと考えが変わった。

私の中の芽はすくすくと伸び、つぼみを付けた。じゃあ、私が変えることのできる社会って、何?何日か答えはでなかった。しかし、家で娘とパン作りをした後に、なんだか輪郭がはっきりしてきた。私ができるのは、「もっと楽しんで生きていい」を見せることだ。きっと。

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具体的には、①イラストや文章など好きなものを作ること。②子どもがいても、海外をひとり旅すること。③沖縄に移住してみること。そういった「やってみたい」をかたちにする中で、周りの人に驚かれた経験が幾度となくある。驚きという感情は、発見でもある。

「その考えがあったか」相手にそう思わせたとき、それは相手の考えを変えることになるだろう。それが口伝えで広がっていくとなると…。うん。私、もしかしたら社会を変えているかもしれない。特に、②の海外ひとり旅に関しては、ものすごく特殊だ。子どもをもつ友だちや、親世代にも目を丸くされる。正直、真似をする人は周りにいない。

しかし、「ばやしみたいに、ひとり時間を大切にするようにしてるよ」という声を聞くこともある。これではないだろうか。「もっと楽しんでいい」という私の思いから生まれた行動が、友だちの「もっと楽しんでみよう」を後押しする。これって、社会を変えているのではないだろうか。

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30代、働いている子もいれば、結婚している子、子どもがいる子、いない子。かなり環境が異なってくる妙齢な私たち。「楽しむ」の範囲も、好みも、できることも様々だ。

しかし、思いが伝染していけば、どんな環境でも「より楽しく生きる」ことができるのではないだろうか。これからの人生、そんな後押しができる女性になれるといいな、とふと思った。私の中に小さな、それでいてとてもあたたかい花が咲いたような気がした。次は、この花の種を色々な人に分けて、いつかお花畑ができたらきれいだろうなぁ。「もっと楽しむ」のお花畑、家庭菜園からやってみたいと思う。