限界を迎え、休職した冬。1人きりの寝室で、私は書き始めた

職場の電話の受話器を持ち、泣いていたあの冬。手の震えを抑えようとしながら、なんとか声を絞り出していた。あの日以降、私は職場に行くことができなくなってしまった。
当時、2年目の自治体職員で常に人手不足な職場だった。業務を円滑に進めるため、無理をしていたと思う。それでも、「やらなければいけない」という使命感のみが私を突き動かしていた。職場で涙を流したあの日、きっと限界の糸が切れてしまったのだ。
「休職しましょう」
病院の先生からの一言を聞いて、納得できるようなできないような、複雑な気持ちになった。
「私だけ休んでいいのだろうか?」
結局、家で療養することになった。横になっていても、頭がぐるぐるしてなかなか眠ることができない。何もする気は起きなかったけれど、スマホなら触ることができた。1人きりの寝室で、スマホをぽちぽちと触り、自分の言葉をネットの海へ流すようになった。
なぜそれを始めたのかは覚えていない。知らない誰かに私の話を聴いてほしかったのかもしれない。書いていたのは、休職に至った経緯や想い、これまでの経験などとりとめのない内容だ。知り合いには誰にもアカウントを教えていなかったけど、見知らぬ誰かが私の記事を読んで”いいね”を押してくれている。その事実が、休職中の何者でもない、まっさらな自分を肯定してくれているような感覚になった。
しばらく投稿を続けているうちに、私は起こった出来事をただ書くだけでなく、経験の振り返りから自分の価値観が変わっていくのを実感していった。
「情報へのアクセスが簡単だったり、性格上人の話をいっぱい聴いちゃったりするから、今までインプットしすぎてたんだろうなって」
「新卒だからすぐ辞められないとか、大きい会社に入れば安定とか、そんなことは全くないです。心身ともに健康であることが一番大事だと思うし、適材適所というか向き不向きもあるから、自分のいろんな可能性を考えたらいいんじゃないかなって。それで心の健康が保てるならその選択は正しいと思うのです」
私、こんなこと考えるようになったんだ。
今までは「公務員になったのだから、長く働き続けなければいけない」と思い込んでいた。だから、自分でも価値観の変化にびっくりしていた。きっと、頭の中で考えているだけじゃ、価値観の変化に気づくことはできなかったと思う。休職して書いていくことで、自分の”こうありたい”を見つけられた瞬間だった。
休職したことで、価値観の変化はあった。けれど、根っこの責任感の強さや他人を気遣う性質は変わっていないと思う。休職前までは、それを他人へと向けることに一生懸命で、自分のことを気遣う余裕がなかった。SNSに内側の想いを書くことで、自分を整えることに繋がっていった。
私は、自身の経験から「休職は悪いことじゃない」「正社員でも非正規でもフリーランスでも主婦でも無職でも生き方は人それぞれ」と社会で蔓延している偏見について、自分の想いを書くようになった。どうしても今、社会の歯車として走り続けなくてはいけないと考えている、過去の自分のような人に届いたらいいな、と。誰でも発信できるこんな世の中で、私の言葉なんてきっとチリのように小さいものだと思う。小さくて儚い言葉だけど、私は書き続けることで自分という海底の奥底に寄り添いながら、「自分自身の気持ちを大切にしてほしい」と想いを伝えようとしているのだ。
きっと、私と同じように休職や退職を経験した人はたくさんいると思う。でも、ひとりひとりの経験はきっと全く同じものではないから。誰かに私の声が届く日が来るかもしれない。そんなことを想いながら、今日も私は書くことを続けたいと感じている。
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