私は男の子ママ6年目である。長男と次男は2歳差だ。私自身、男兄弟を持つ長女だったこともあって、この生活は楽しい。
しかし、ジェンダーについて語られることが増えたこの時代だからこそ、私は男の子2人を育てることに、何だか大きな責任を感じてしまう。それ故の悩みが、私以外の多くの男の子ママにも生まれているのではないだろうか。

私が男の子2人と過ごしていると、ちょこちょこ思うことがある。それは、「男の子の考えてることってよく分からん」というヤツなのだ。

私はハリー・ポッターシリーズ大好きマンなのだが、唯一あまり好きではなかった巻がある。それは、「炎のゴブレット」だ。
「炎のゴブレット」の中では、ハリーとロンがケンカをする。そのシーンが、とにかく長い(体感的に)。簡単にケンカの主旨を言い表すならば、ロンのハリーに対する嫉妬だ。
ファンだからこそ言うけれど、そのケンカには中身がない。さらに、仲直りの会話にも中身がない。その仲直りを見て、ハーマイオニーも言っていた。「男の子って」と。いや、ほんまそれな……。

男の子ママが思う、難解さ。「こだわり」をどこまで通すべきなのか

しかし実際、ケンカをしていた本人達の間には、中身があったのだろう。仲直りも、それぞれの「こだわり」を曲げて歩み寄った、男の友情溢れるシーンなのだ、多分。でも、女の私からはその中身がよく見えない。「なんかムシャクシャしてたんだろうな~」「思春期か?」程度の不透明さ。
彼らの同級生視点でそのケンカを見ていると、こちらまで何だかムシャクシャしてくる(私だけかな…)。男の子ママの私が思う男の子の難解さも、まさしくそれ。
つまり、不透明な「こだわり」をぶつけてくるところなのである。

もちろん子どもにはそれぞれの個性があるけれど、私が周囲のママ友から話を聞く限りでは、男の子の「こだわり」は女の子のそれに比べて強く、母からは理解しがたい傾向がある気がする。

長男はもう来年から小学生。もう一丁前に言い訳するし、嘘もつく。弟に対し、意地悪なことも言う。私はその度に彼の「こだわり」を通すかへし折るか、悩んでしまうのである。

例えば、長男の「このおもちゃは僕が先に遊び始めたから、今この瞬間から弟には絶対に触らせない」という強い主張。これは、通してあげてもいい「こだわり」?それともこれこそ「こだわり」諦め体験のチャンスと見て、おもちゃを弟に渡させるべき?

この育て方でいいのか、「実」を結んでいる手応えは今のところなし

私の場合、そのおもちゃの種類(一人用か二人用か)によって対応を変えるのだけれど、基本的には彼らに判断を委ねている。もしも私がおもちゃの種類を問わずに「つべこべ言わずに優しくしな!」と言っていたら、それはもう1日中怒り続けることになる訳で(そんな日もある)。それはこちらも愉快ではない。

私は自分の愉快さを優先して、この子達が「こだわり」を曲げて柔軟性を育む機会を奪っているのだろうか。子供に考えさせているのだと言えば聞こえはいいけれど、のんびりとしたこの手法が「実」を結んでいる手応えは、今のところあまりない。ここでいう「実」というのは、おそらく今日明日ではなくもっと後、彼らが大人になった頃に実るものだ。

「こだわり」に関する攻防は、20年先を見据えたときに、正解の形があるのだろうか。例え彼らが幼少の今がこれでいいとしても、いつか方向転換が必要になる日が訪れるのだろうか。

息子達には遠い将来、誰かに大切に思われて欲しい。それが、彼らの大切に思う人であったらいいなと、ぼんやりと思う。だからこそ、母親としては今の彼らを受け止めて、抱き締める。彼らに愛されているという実感をしっかりと感じて欲しい。それは実践できていると思う。だけど。

そちらを優先しすぎた結果、彼らが将来、「こだわり」を譲れない男になったとして、それが人間関係に影響したら?私が息子に対して「男の子って」こんなもんだよね思い接し続けた結果、20年後に彼が大切な人に「男って」と思われたとしたら?……それはとても悲しい……。

「男って」ちょっとくらい「こだわり」が強くてワガママでも仕方ないんて、そんなことはない。人を傷つけることはダメだし、思いやりは持ってほしい。そんなことに男も女もない。私は何も、息子達にマザコンになって欲しくてハグをしている訳ではない。
むしろ将来、彼らが愛した人にハグをして、優しく包み込めるような男になって欲しいのである。

「子育て」とは、いつどこで芽が出るかわからない種に水をあげること

ますますジェンダーに関心が寄せられるであろうこの先、未来を幸せにするための種を、今から家庭でまかなくてはならない。私にとっての「子育て」とは、いつどこで芽が出るかわからない種に、せっせせっせと水をあげること。
芽が出た後も観察し、日当たりの良い場所に置いてみたり、与える肥料を変えてみたり。毎日一緒に暮らす中で少しの変化に気付くととても嬉しくて、楽しさを感じることもあるけれど、先が見えない分、育て方に自信を持てることは恐らくこの先も、無い。

息子達によって、日々よくわからん「こだわり」の攻防が繰り広げられている我が家のリビング。しかし最近のケンカは、激しいと思った次の瞬間にまた仲良く遊んでいる、なんて事も少しずつ増えてきた。

もしかしたらそれも、彼らがやり取りの中で勝手に「こだわり」諦め体験を積んでいるということなのかもしれない。諦めというか、譲り合い?譲歩の練習なのかも……。そうか、ならケンカしてもいいぞ、好きにやりな。我が家の兄弟も、ハリーとロンも。

今は、意義がある(のかもしれない)これらの諍いを、母親として見守っていよう。願わくば勝手に、心優しい人間に育っていってくれたまえ……(ドンガラガッシャーン)…(ギャー)…(遠い目)。