私は小学生の頃、いじめを受けていた。正確には、いじめられていた友人を庇ったことで、標的が私へと移ったのだ。その瞬間、これまで仲良くしていた友人たちからも無視され、自分が惨めに思えたことを今でもはっきりと覚えている。机に落書きをされたり、上履きに画鋲を入れられたりといった露骨ないじめはなかったが、罰ゲームを強要されたり、些細なことで無視されたりと、じわじわと心を蝕むような嫌がらせが続いていた。

学年が上がると、クラス替えとともに露骨な嫌がらせは減った。けれど、あの頃のいじめっ子たちは、笑い話のように私を揶揄うことがあった。それでも小学校には通い続け、卒業まであと半年、というところで不登校になった。理由はいくつかあった。いくつもあったからこそ、小さな塵のように痛みが積み重なり続け、小学6年生の秋、私は学校へ行けなくなった。中学校生活も形ばかりのもので、教室に入った回数は十にも満たない。

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そして今、私は大学生である。犯罪心理学を専攻している。現代社会において、学生間のいじめは深刻な問題の一つであり、時にはそれが殺人事件にまで発展することもある。私の大学では入試の際に教授との面接があり、そこで私はこう話した。

「なぜ友人を庇っただけの私が、新たな標的になってしまったのか。なぜ彼女たちは、標的を変えてまでいじめを続けたのか。その理由を知りたくて、この大学を志望しました」

それ以外にもいくつか志望理由はあったが、ここでは割愛させてもらおう。とにかく私の人生の根幹には、確かにあのいじめが静かに居座り続けている。他人から見れば、些細で取るに足らない経験かもしれない。しかし私にとっては、決して抜けない棘のように、心の奥深くに残っていた。

大学で心理学を学び始めて2年。率直に言えば、まだ明確な答えは見つかっていない。完全に理解できたわけではないし、信頼できる理論を掴んだとは言い難い。しかし、大学生活の中でさまざまな活動に関わるうちに、自分自身について少しずつ理解が深まってきたように思う。

私は平和主義者で、競争が苦手だ。けれど同時に、負けず嫌いで頑固でもある。一見すると矛盾しているようで、実はそれが、私の中ではきちんと釣り合っているのかもしれない。

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「いじめの理由を知りたい」という動機から始まった夢は、この2年間で大きく変化した。現在、世界各地で起こっているテロリズムや戦争、貧困や差別といった無数に存在する問題には、多くの人々が少しでもその痛みを減らそうともがき続けている。私も、その一人になりたいと思うようになった。

例え世界を一気に変えることはできなくても、平和に向けた一歩になりたい。それが私の使命なのだと、そんな大層なことを言うつもりはないが、やはり夢は大きく持ちたいものだ。

ただし、身近な問題を放置するわけにもいかない。いじめだけでなく、闇バイトや若者の薬物乱用、新たなサイバー犯罪……。新たな犯罪は毎日のように生まれ、それに手を染める人が後を経たない。私が必ず犯罪をなくすぞ!!なんてことは言わないが、少しでも私の生き方が、たった一人でも誰かを救えるのならば、それ以上の幸せはないだろう。

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あの日、私は友人を庇って良かったと、心からそう思っている。確かに、あの選択の先には長い苦しみがあった。しかし信念を曲げなかったことが、今の私を形作っている。
私の信念は、これからも変わることがないだろう。だが信念だけでは、社会も世界も変わらない。だからこそ、私は自分だけを変えるのではなく、世界をも変えるのだ。
いじめから始まった私の夢は、今、紛争解決という新たな道を歩き始めている。