SNSで「繊細さん」という言葉を初めて見たとき、胸の奥がすっと軽くなった。それまで、どうしてこんなに人の表情や空気に敏感なのか、自分でもわからなかった。まわりの人に合わせようとして疲れ果て、「気にしすぎ」「弱い」と言われるたびに、私は“普通じゃないのかもしれない”と感じていた。

学校の集会、運動会、文化祭。
人が多い場所や体育の先生の怒号が苦手で、参加するのがつらかった。音や熱気に圧倒されて、息が詰まるような感覚になる。しんどくて学校を休んだ日もある。
そのたびに「集団行動できない人間」という烙印を押されている気がして、自分を責めた。

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そんなときに出会ったのが「HSP」という言葉だった。
“繊細すぎるのは、気質のひとつ”。その説明を読んだ瞬間、長年のもやもやが言語化された気がした。「これか」と納得すると同時に、「おかしいわけじゃなかった」と安心に変わった。

気にしすぎ”は欠点じゃない。むしろ、相手の表情や場の空気を感じ取れる強みでもある。

HSPという言葉に出会って、初めて「自分との付き合い方」を考えるようになった。無理に克服するのではなく、自分のペースで動く。
人が多い場所を避けるのもいいし、心地よい空間を探すのもいい。
それが逃げではなく、自分を大切にする選択だと気づいた。

けれど、同時に思った。HSPという言葉を「防御」に使うのは違う。
「HSPだから優しくしてね」と人任せにするのではなく、自分の特性を理解してどう活かすかを考えたい。HSPを“理由”ではなく“理解のための言葉”にしたいと思った。

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「HSPとは何?」と聞かれたとき、最初はうまく説明できなかった。でも、だんだんとわかってきた。

それは人によって定義があっていいし、いろんな解釈があっていい。私にとっては、自己理解をして前に進むための言葉だった。

すべての項目に当てはまるわけではない。大人数でも楽しめる場合もあれば、少人数でもしんどいときはある。その違いを自分なりに問い詰めて、言語化ができたとき、どんな場所でも自分から進んで行けた。以前は、人と違う自分を直そうとばかり思っていた。
みんなのテンポに合わせられないときは焦り、休みたいと思っても我慢していた。
でも、HSPという気質を知ってからは「無理せず距離を取る」「自分を疲れさせる環境を減らす」といった選択を少しずつできるようになった。

たとえば、会話の後に一人で静かなカフェに立ち寄ったり、無理に予定を詰めず「今日は休む」と決めたり。そうした小さな工夫を重ねるうちに、「私が変わらなきゃ」ではなく「私のままで心地よく過ごすには」と考えられるようになった。

noteでHSPについて書いたとき、「私も」「わかる」とコメントをもらった。
共感されることがこんなにうれしいなんて、思ってもみなかった。同じように悩む人が多いことを知り、だからこそ、等身大のまま、赤裸々に書こうと思えた。

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HSPという言葉は、今の私にとって“心の取扱説明書”のような存在だ。
繊細さを否定せず、理解して向き合うためのヒント。感じ方は昔と変わらない。けれど、その感じ方をどう生きるかが変わった。

HSPでも非HSPでもいい。人は誰でも、何かにつまずいたり、悩んだりする。そのとき、自分の考えにしっくりくる言葉が見つかったら、どうか逃げずに、その言葉ととことん向き合ってみてほしい。私の場合は、それが「HSP」だった。