結婚式って、なんでこんなに豪華なの。
25歳を皮切りに、私の周りで始まった結婚ラッシュ。そこから何度か呼ばれるようになった結婚式。数回参加して、定番の流れみたいなものをつかみ始めた頃、私はふと思った。

お城みたいな会場に始まり、結婚式以外の場で食べることのないフレンチのコース料理からの、帰り際に手渡される豪華な引き出物。
ご祝儀が高いなんて声もあるけれど、新郎新婦が負担している料理や引き出物の費用を踏まえたら、そう高くはないように思う。

そして何より、主役の新郎新婦は挨拶や、お色直し、手紙の朗読なんかで大忙し。そして、招待客の目当てはみなこの二人なため、近づきたいけど近づけず、やっとの思いで一言二言交わし一緒に写真を撮るので精一杯。某テーマパークに行ったときの、キャラクターとのグリーティングみたいだなと思っていた。

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そんな私も、ついに今年、結婚することになった。
かがみよかがみに最初に投稿したエッセイに登場した彼が夫になった。そのエッセイを読んでもらえれば、より分かってもらえると思うが、私たちの関係はとても対等だ。そしてまた、私もそうだが、夫もまた納得感をとても大切にしている。

夫の結婚式観はこのようなものだった。

「自分は昔から、自分の親と自分の友達が一緒にいるのが苦手なんだよね。親といるときの自分と、友達といるときの自分は違っていて。なんなら、中学の友達といる自分と、高校の友達といる自分も違うし、いろんな友達が一同に介されるのめっちゃ無理やわ」

そして続けて、「結婚式ってすごいお金かかるし、その内訳が不透明な感じがする。結婚式やるのが当たり前って風潮にまけて、お金を必要以上にとられている感じがしてしまう」と。

私も、この夫の結婚式観に関し、わからなくもないなと思った。確かに、結婚式に対してここまで豪華にしなくてもいいんじゃないかとかねてから思っていたし、友人グループごとに見せる顔は私自身も違うなと。でも、親へのけじめや感謝のひとつとして結婚式は大事な節目だと思っていたし、互いの大事な友人を互いに紹介し合える絶好の機会だとも思っていたので、どうしたものかと思った。

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話し合いの結果、①チャペルで前撮りをしてそのときにお互いの親を呼ぶ、②後日友人だけを呼び大規模な飲み会、披露宴の後に開催される二次会のようなものをひらくという結論に落ち着いた。そして、②については、「来てくれる人みんなが楽しい会に!必要以上に豪華にしない」という、教室の後ろに貼ってありそうなスローガンが打ち立てられた。

このスローガンを実現するために、私たち二人で次のような方針を決めた。

・遠方から来てくれたり、久しぶりに会え友人も多いので、ゲストと話す時間を最大限にしたい。そのため、受付から新郎新婦で対応し、主役にすぐ会え、たっぷり話せるようにする。
・友人スピーチや余興も、頼まれた友人の負担になるだろうから省略する。
・親への手紙も、そもそも読む相手の親を呼ばないので省略する。
・ドレスは前撮りで着て満足したので、新婦は動きやすい白っぽいワンピースにする。(ちなみに夫は某ファストファッションブランドのセットアップ、インナーは1枚1500円の白Tシャツになった)
・余興も身内ネタでついていけない人がでないよう、みんなが平等に楽しめるくじ引き抽選会にする。

これらの方針は、私たち二人の全力の気遣いを発動させた成果だった。

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あまり一般的ではない形での開催に、友人たちの反応が直前まで気がかりだった。当日、会場に入ってすぐの受付に私たち新郎新婦が二人で座っているのを見て、「こんなすぐ会えると思わなかった」と嬉しそうに話してくれる友人の顔を見て、そんな不安はすぐに飛んで行った。

そして終わったあと、こんな声が聞けた。「今まで参加した中で、一番楽しかった。二人がやりたいことをやるのを見せてもらうって感じじゃなくて、来た人が楽しめるかを二人とも一番大事にしてくれてたのが伝わった」と。自分たちの想いが友人に伝わった安堵や嬉しさで心がいっぱいになった。

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ここまで書いておいてなんだが、一生に一度の機会、自分史上最強に着飾って、豪華な会場で、美味しすぎるほどの食事を、家族、友人、職場の人と日頃大事にしている人みんなで囲む会も、もちろん素敵だと思う。そしてまた、これまでの新郎新婦の歩みや、新郎新婦と家族とのやり取りを楽しみにしてくれる友人だっているだろうし、それをごっそり省いてしまった私たちの会に、物足りなさを感じている友人もいたかもしれない。

けれど、結婚式というのは、主役の新郎新婦の二人がやりたいことをする場だと思う。「来てくれる人みんなが楽しい会に!必要以上に豪華にしない」というスローガンこそが、私たちのやりたいことだった。ちょっと異色ではあったかもしれないし、物足りない部分もあっただろうけど、私たち二人でやりたかったことをやれたと思っている。

結婚式に限らず、社会には「こういうもの」と、無意識に作られた枠がたくさん存在していると思う。でも、自分の人生は誰のものでもなく自分のものだ。だから、その枠の存在に気が付いても無視したっていいと思うし、枠の形を勝手に変えたっていいと思う。一番大事なのは、自分がどうしたいかということだ。

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ここかがみよかがみでは、これまで幾度と「私はこうしたい」と叫ばせてくれた。言霊なんて言葉があるように、黙っていては何も変わらないが、言葉にすることで自分の行動が変わったり、その声を誰がか拾ってくれて広がることだってある。かがみよかがみでは、声にすることを教えてもらった。それは私だけじゃないと思う。深い感謝を表するとともに、これから違う場所でも声を出して、自分らしく生き抜くことをここに誓わせてもらいたいと思う。