突然のなりすまし被害。怒りより先に「手順」を思い出した
朝、フォロワーから「なりすましがいます」と連絡が届いた。私の名前、顔写真、言い回し、絵文字の置き方まで、そっくりの誰か。胸の奥が冷える。
けれど私は、怒りより先に「手順」を思い出した。スクショで記録、プロフィールの「…」から報告、ストーリーで注意喚起、関係先に連絡。指先は震えていても、順番どおりにやると決めている。
私は言葉の仕事をしている。司会台に立つときもSNSに書くときも、いちばん大切にしているのは「相手の尊厳」と「場の安全」だ。だからこそ、炎上の火種を煽らず、事実だけを短く共有し、個人攻撃に流れない。悔しさを飲み込む代わりに、手順を前へ出す。これが、変えないと決めている私の軸だ。
通報の仕方を一つずつ書いたストーリーには、多くの反応が返ってきた。「やってみました」「はじめて知った」「怖かったけど落ち着けた」。数より、言葉の温度が伝わってきた。「あなたが怒鳴らないから、私も冷静でいられた」と綴る人もいた。私は画面の前で深呼吸した。怒りは正義の味方に見えるときがある。でも、怒りが守れないものも確かにある。
数日後、なりすましアカウントは消えた。勝ち負けではない。おそらく誰かの一歩が、私の一歩と重なっただけだ。それから数日、私のストーリーをスクショして「自分も同じ手順で対応できました」と報告してくれる人が現れた。別の人は「友人が困っていたので、この手順を教えました」と。私が変えなかった「手順を選ぶ」という小さな癖が、見えない場所で複製されていく。ひとりの力は小さくても、同じ手順を選ぶ人が増えれば、SNSという場所の空気は少しずつ変わっていく。
司会の現場でも同じだ。焼香の列が乱れそうなとき、声を荒らげれば一瞬で静まるかもしれない。でも私が選ぶのは、丁寧な案内と、手の動きと、空気の流れを整えることだ。強さより、整えること。正しさより、傷つけないこと。その連続でしか、場の安全は育たない。すると、次に同じ会場で別の司会者が立つとき、参列者の動きが少し穏やかになっていることがある。私がいなくなったあとも、場に残る何かがある。SNSも、現場も、広さが違うだけで、根っこは同じだと知った。
なりすましが消えた夜、メッセージが届いた。「自分も被害に遭って、誰にも言えずに消耗していました。あなたの手順で、やっと眠れそうです」。私はスマホを置き、台所でコップに水を注いだ。水面が静かだと、心も静かになる。私のやったことは特別ではない。ただ、今日も手順を選んだだけだ。その選択を、また誰かが選び直す。その連鎖が、社会の一角を、少しだけ変えていく。
私は変わらない。怒りより先に、手順。相手の尊厳を先に。場の安全を先に。そうやって選び続ける私の小さな癖が、画面の向こうや式場の隅で、誰かの呼吸を守る日がある。私ひとりでは何も変えられない。でも、私が変わらずにいることで、同じ選択をする人が増えていく。その積み重ねが、社会を変えていくと、今日も信じている。

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