「かがみよかがみ」にお世話になった期間は短かったが、毎度いただくテーマは常に難しく、自分自身と向き合わねばならないものだった。

今回もかなり難しい。

「私は変わらない、社会を変える」

そんな力は私自身にはまだないように思う。
ただ、エッセイを書いて発信することで、少しでも自分と同じような考えを持っている人や違う考えの人が新しい考え方を知るきっかけになれば、微力ながら、社会の一員であるエッセイを読んでくださる方が少しでも感じることがあれば、という想いで毎回過去を振り返りながら書き連ねた。

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そもそもお題に対してエッセイを書こうとすると、普段は全く意識していなかったことを表層化するところから始まる。自分の考えではあるのだが、自分自身からこんな言葉や考え方が出てくるものなのかと驚くことも少なくなかった。

また、書いている内容を振り返ると20年くらいは時が経っているはずなのに、幼少期の海外での出来事が軸になっている内容が多いことにも驚いた。そのあと中高大院と卒業し、就職もして、結婚もして、それなりに人生の岐路に立たされるような大きな出来事はあるはずなのに、当時の他愛もない記憶がベースになっているエッセイが多いのだ。
当時の経験が自分自身の考えや価値観にどれだけの影響を与えたのかということを改めて感じるとともに、ある意味、そこから私はあまり変わらなかったのだろうなと思った。成長が止まったような少し寂しい気持ちもあるが、それだけの出来事を人生に一度でも経験できたことは幸せなことなのかもしれない。

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いまや帰国子女などそう珍しい枠でもないとは思うし、同じような経験をしている人、もっとしっかり海外での経験を生かしたような人生を歩んでいる人もごまんといるだろう。それでも私自身が大きく変化した出来事をささやかながら言葉にすることは、私自身の事実の記憶整理とともに、当時沸き上がった感情や考えを思い起こさせて、いまにもつながっている部分を再認識する有意義な時間だったし、その体験を自分だけのものにせず、誰かの何かのきっかけにする機会として形に残せたことがうれしかった。

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「私は変わらない。が、社会を変えようとも思わない」
それは、他者の考え方やバックグラウンドを尊重して、相手を理解し、あるいは、理解できないことを納得し、そのうえで人と関わっていきたいという考え方を身に着けていて、それを私は変えることは今後もないと思っているからだ。

私自身が納得や理解ができない社会の制度や考え方はたくさんある。出産や育児に係る制度はその立場になったことがないので、良さも悪さも全くわからない。会社の制度も納得感がないものも多々あるが、それは単に自分だけがそう思っている可能性もある。もちろん私以外にも感じている人がいることは話していると分かることもあるが、大体類が友を呼んでいる結果であることも多いし、全員に確認していない以上、社会を変えるなどということはおこがましい。

ただ、エッセイを通じて共感する声、流れが出てくるようであれば、喜んで社会を変える一員になりたい。言葉にして発信する。それがささやかでも大きな力になることを信じて、またどこかで自らの体験や考えを発信する機会を見つけていきたいと思う。