私は目の下のクマがひどい。「寝不足?大丈夫?」と今まで何度言われてきたことか。それでも私は気にしてない。というのも、小学4年生のある出来事がきっかけだ。

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「笑ったら目の下のクマ目立つから、笑わないほうがいい」突然クラスメイトの子から言われた時は衝撃だった。しかも普段全然話さない子。意地悪した記憶もない。だから「なんか、私への嫉妬かな」なんてポジティブに捉え受け流した。

でもその出来事のおかげで、それ以降友達から指摘されても「小学校4年生の時からひどくて」なんて笑いながら言えるようになっている。もはやクマは私のチャームポイント。

あともう一つ、私には右の耳の後ろに白髪が1本だけ定期的に生える。これを指摘されたのは大学時代、突然友達に「白髪ある!」と大きい声で言われた時だ。周りにも人がたくさんいたから、正直「やめてよ、恥ずかしい」ってちょっとムッとしてしまった。けど、それ以降はその子が定期的に私の白髪を抜く係になってくれた。だから今、その白髪を鏡で見つけた時は大学時代を思い出して、懐かしい気持ちに浸れるぐらいになってる。

そうやってあまりうれしくないものでも、「昔からだから」って思えたら案外受け入れられるもの、って言えたら楽なのに。どうしても、繊細で敏感な感性にはずっと頭を悩ましてきた。

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些細な一言でえらく考え込んでしまうし、人の悲しみまで自分の悲しみだと思ってしまう。中学生の頃、少しショッキングなニュースを見ただけで、それから何日間か寝付くのに時間がかかったこともよくあった。

そんな生きづらさを感じていたけど、学生時代は友人たちが私の周りにバリアを作ってくれていた。「あなたはガラスのハートだから」とからかうけど、私が落ち込みそうな時はすかさず声をかけてくれたり、楽しいことをして笑わせてくれる人たちに囲まれていた。
でも社会に出たらそんなものは何一つない。わかっていたから「早く強くならないと」って、ずっと焦っていた。でも、その気持ちが空回りして余計に自分を消耗させてしまったと、今では思う。

きっと友人のバリアがあっても、簡単に突っ切ってきただろうあの突き放すような言葉や冷笑。でも、ひどく応えてしまっているのは自分の弱さだと責め、「ここで逃げたらだめ」と自分にプレッシャーをかけ続けてしまった。そうして気づいたら、以前にも増して心がか細くなってしまった。今はすぐに横にならないといけないくらい、疲れやすい。

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鈍感な方が圧倒的に生きやすい。「何でもてきとうに受け流せたらいいのに」と思っていたあの頃。でも最近、鈍感さとは「気づかない力」ではないと気づいた。私が鈍感だと思っていた人たちは、自分の気持ちをないがしろにせず素直に向き合っていたし、ベクトルを軽やかに向け直して次にどんどん進んでいた。敏感なのに、自分の気持ちには鈍感だった私。磨きがかかった繊細さを、これからは自分を守る盾として使っていこう、そんなふうに思えるようになった。

強さと聞くと、太くて簡単に折れない、そんなものをイメージする。けど私は、細い糸でもいくつか集まれば、弱くはないと思っている。

だって私は、この磨かれた繊細さのおかげで、誰かの心がちょっと重くなっていることにすぐに気づけるようになったから。そばに行ってこぼれそうな思いを手で掬って、横に座ることができるから。そんな些細なことだけど、実はそれが一番力を持ってるってことも知っている。そうやって誰かと束になって、これからも進んでいきたい。