「なぜ宛名が父親なの?」と園に苦情。価値観の違いに気づけた
「みんなちがって、みんないい」。
頭ではわかっているのに、気づけば「普通はこうするよね」と言ってしまう自分がいる。けれど、その“普通”はいったい誰のものなのだろう。誰にとっての“当たり前”なのだろうと、ふと思うことがある。
私は昔から本を読むのが好きだった。物語の中で主人公にも悪役にも感情移入できた気がしていた。でも現実の世界では、そう簡単に人の気持ちを理解することはできない。
ストレングスファインダーでは「個別化」が一番に出た。人の違いに関心があり、相手に合わせた関わりが得意な特性らしい。自分でも「人それぞれ」と思うほうだと思っていた。
けれど、たくさんの人と出会ううちに、価値観というものは想像以上に深く、複雑だと感じるようになった。
たとえば、保育士時代。園から年賀状を出したとき、あるお母さんが「なぜ宛名が父親なの? 母親の私のほうが子育てしているのに」とクレームを入れてきたことがあった。
長年保育士をしていても、そんな意見を受けたのは初めてだった。
その出来事をきっかけに、翌年からは子どもの名前で出すように変えた。
「そういう見方もあるんだ」と気づかされた瞬間だった。
また、猫を亡くして3日間休んだ保育士を見たとき、当時の私は正直「そこまで?」と思った。けれど、自分がペットを飼うようになり、もし同じことが起きたらと思うと、その人の気持ちが痛いほどわかる。
経験を通してしか、他人の価値観の重さに気づけないことがあるのだ。
思えば、結婚してからも、そして親子の間でも「価値観の違い」は日常にあふれている。
目玉焼きに何をかけるか、サラダのドレッシング、カレーは甘口か辛口か。お風呂は寝る前か起きてからか。起きたらベッドメーキングをするのか、パジャマを着るのか着ないのか。
どれも小さな違いなのに、毎日の中では意外と大きなズレになる。だけど、どちらが正しいというわけではなく、ただ「違う」だけなのだ。
「みんなちがってみんないい」とは、きれいごとではなく、実際に“違いに出会う勇気”なのかもしれない。
知らない価値観に触れたときに「え?」と思う自分を責めるのではなく、「そういう考えもあるんだ」と一歩立ち止まれるようになりたい。
そうやって世界を少しずつ広げていけば、見える景色も変わっていく。
私は変わらない。けれど、私が感じた気づきを言葉にして伝えることで、誰かの“普通”が少し揺らぎ、社会がやわらかく変わっていくかもしれない。
エッセイを書くことは、そんな小さな波を起こすことだと思っている。
これからも、自分の中の“当たり前”を問いながら、誰もが生きやすい世界を目指して言葉を紡いでいきたい。

かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。