仕事からの帰り道、何気なくSNSを眺めていると、「私が歩みを止めた時」というテーマでエッセイを募集しているという内容の広告が目に入った。そんな経験、あったな。と瞬時にピンときた私は、SNSを閉じてメモ帳アプリを開き、勢いに任せて思いの丈を書き殴った。
婚活アプリで出会った彼氏と付き合ってみたものの、いざ結婚が遠すぎない距離にちらついてきた途端、え、私この人と結婚するの?一緒に生活できるの?そもそも結婚したいと思ってなくない?と気付いたこと。

改めて文章にしてまとめてみると、やっぱりあの時感じた違和感を、見て見ぬふりをしなくてよかったと思った。自分で気付いて決断できたのは正解だったんだと、今は自信を持って胸を張ることができている。

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それ以降、自分の感じた違和感を素直に違和感だと認識できるようになったように思う。
誰かに言われて傷付いたこと。もやもやしたこと。怒りが込み上げたこと。絶望したこと。そういえば昔あんなことを言われて、その時はスルーしてしまったけど、やっぱりおかしかったよな、なんてこともよくある。残念ながら私には瞬時に怒ったり反発したりできる瞬発力がない。だからこそ後になって一人でぐずぐず考え込んでは後悔するのだ。

そんな時文章に書き起こすことで、自分はなぜその言葉に違和感を感じたのか、感情的になったのか、その正体と対峙することができる。理解して消化することで、ネガティブな感情を持った自分を認めてあげやすくなった。ネガティブな感情を持つことは必ずしも悪いことじゃない。時に自分を知るきっかけになるのだ。今では私にとって文章を書くことは、自分自身と向き合うツールとなっている。

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ヨガを始めて7年になる。ヨガとは体を動かしてポーズを取ることが主な内容ではあるが、それに加え、瞑想がセットになっていることが多い。長年続けていても、私は未だに瞑想ができない。背筋を伸ばしてじっと座っていても、しばらく経つと背中が丸まってくるし、しまいには船を漕ぐ始末である。性格上常に何かを考えているので、頭を空っぽに~なんて程遠いのだ。

そんな私でも、文章を書いて自分の気持ちや考えを整理することで、頭は空っぽにはならないが、頭の中がクリアになって、思考回路にスペースができる感じがする。

ここで思い出すのが、十数年前に流行った「脳内メーカー」である。何の事柄に対して脳内の何パーセントを使っているか示してくれるイラストの、「仕事」「恋愛」「友達」などの吹き出しがひと回りずつ小さくなって、間に隙間が空くイメージだ。

整理するだけでもいいが、アウトプットするとよりはっきりと見えてくるもの、改めて気付くことがあるので、それもまたおもしろいところである。自分の思考を書き出すことは、瞑想効果があるように思う。じっとしていることはできなくても、何かに集中することで余計な事を考えないという瞑想ができるのだ。この発見は私の人生において、とても大きな意味のあるものになった。

しばらくはお題は与えられないだろう。それでも、真面目なことからくだらないことまで、これからも思うままに綴っていこうと思う。私は文章を書くことができる。文章を書くという手段がある。私が私らしく生きていくために、私は書く。