SNSのアプリがホーム画面にデカデカと存在していると、どうしても開きたくなってしまう。
「見ない!」と決めたとしてもその決意は簡単に揺らぐ。
脳の中の報酬系の回路が刺激されて、ドーパミンがドバドバと溢れ出してとまらない。
かっぱえびせんと同じくらいにやめられないし、とまらないのだ。
LINEに依存するということは個人的にあまりない。人とそんなに頻繁に連絡を取らないからかもしれない。ともだちの数も親族含めて34人と、少なめだ。
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Facebookは年齢層的にも周りにしている人が少なく、アカウント自体をもう消去してしまった。
XとInstagram、あなたたちが一番の私の宿敵だ。
X(旧Twitter)は、放っておくと延々とツイートを追ってしまい、気がつくとスクリーンタイムが10時間とかになっているので本当に魅力的なアプリで、恐ろしい。
今何が起こっているんだろう?人々は何に興味があって、何を思っているんだろう?とひとたび思うと、野次馬根性がグイッと顔を出して引っ込まない。
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母親が「⚪︎⚪︎って芸能人、めちゃくちゃ痩せたみたいだよ」とか「⚪︎⚪︎で捕まったみたいだよ」とかそういうゴシップニュース紛いな、「あなたの本職は芸能リポーターなんですか?」というような話をしてくるのがすごく嫌だったはずなのに、自分も同じ轍を踏んでしまっていることを痛感する。
カエルの子はカエルを地で行っている。
結局「気になる」という感情をくすぐられるとそれにどっぷり浸かってしまい、自制心の弱さが原因なのか、逃れられなくなってしまう人間の性のようなものに抗えない。
だから私はXのアプリはアンインストールして、ウェブでわざわざアカウント名とパスワードを入力して、ログインして見るようにしている。
アプリだとワンタップですぐその「気になる」という快楽に、手順を踏まずにお手軽に接続できてしまうから依存してしまうと考えた。
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一時期はYouTubeもそのようにしていたが、それだと朝に瞑想したい時やヨガをしたい時、音楽を聴きたい時に、パパッと観られなくてQOLが下がって困ってしまうのでアプリを再インストールした。
Instagramはアプリ自体はインストールしているものの、「ホーム画面から取り除く」という機能を使って、視界に入らないように"見えない化"して工夫している。
あのパープルとピンクとイエローのグラデーションのアイコン、可愛いからホーム画面の中でも一層目を惹く。
思わずタップしたくなる衝動におそわれる。
タップした先にもたくさんのキラキラした魅力的な情報が溢れていて、左から2番目の虫眼鏡のところを覗けば生活に役立つ情報もたくさん載っているから、こちらもドーパミンでドバドバになってしまう。
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アルゴリズムで自分の興味があるものの話題がたくさん出てくる仕組みはある意味怖い。
「好き」「知りたい」という感情ひとつでこんなにも時間を浪費してしまうのだということが、恋で熱に浮かされている時と似ているなと思う。
ニコチンやドラッグ、甘い物のように「ハマる罠」がそこにはある。
だからそれらと「どう付き合うか」「どう向き合うか」というのは、それぞれの判断によるとしか言えないのだと思う。
口先だけではそんな最もらしいことを言いつつも、私は今日ものらりくらりとカフェでスマホのスクリーンタイム稼ぎをしている。
プチ・放蕩無頼。「わかっちゃいるけどやめられない」というやつを言い訳にして、また今日も生きている。
私の辞書にルールという文字は存在しない、というよりルールという文字を印刷し忘れたまま出版してしまったと言った方が正しいか。